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「この一冊」 図書のご紹介

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歴史の愉しみ方

歴史の愉しみ方


磯田道史 (中公新書2189 2012年)
2013/09/25更新201310号
分類番号は081。新書です。他にも「宮様のアールデコペンギンが旧邸に戻るまで」といった感動のエピソードや、映画『武士の家計簿』の裏話など、読みどころが満載である…こんなに面白くていいのかと思うくらいだ。たぶん買う。

唐突だが、筆者の周囲には、なにゆえか史学科出身者や本格歴史通が多い。なかには各地の史料館文書館をめぐり研究し、挙句「研究対象について問合せが来た!」などと言う猛者もいる。そんな彼らには、共通点が一つある。
とにかく熱い。
彼らの、歴史にかけるバイタリティは無尽蔵だ。エネルギー不足のおりには推薦したいくらいである。そんなだから、本書のイソダ先生が、古文書まみれの日々を嬉々としておくっておられても、別段オドロキはしない。しかしモノには程度がある! いやぁもう、本書には参りました。
なにせ、第一章の第一声が「忍者の話がしたい」ですよ。先生の悲願は、日本初の忍者の学術的研究であった! ご自分でもそれは「変な人」と見られそうだとご存じだし、そもそも「忍ぶ者」である忍者に古文書は少なかろうというのも覚悟の上である。しかしさすがは研究者、侍帳や由緒書を頼りにずんずん探っていく。毒薬の調合書を手に薬科大の門を叩くまでして「憧れの忍者」に迫る第一章は、すこぶる面白い…そう思ってしまったら、あとはもう一気呵成に読むだけである。

想像設計図だけを頼りに、庭にミニチュア出雲大社を建てたり、レンズと水道管とガムテープとラップの芯で望遠鏡をつくったり(土星の輪が見えてぶっとんだそうだ)といった、仰天ものの幼少時代を読むかぎり、ご両親の懐の深さにも感心する。そして十三歳のとき、イソダ少年は祖母に手渡された家伝来の文書を読もうと独習を始め、以来、三十三歳まで定職につかず古文書探訪の旅をしていたというからまさに武勇伝である。忍者以外のエピソードも秀逸なものばかりだ。しかしここからが本書のすごいところで、あの東日本大震災を境に(ご自身の言葉を借りれば)“天の声に則り”、地震津波に関する古文書探索に単身、乗り出すのである。
「古文書を解読でき、なおかつ歴史時代の地震を研究する大学の日本史研究者が東海地方には一人も常駐していない!」
なんと先生は、八年間勤務した国立大学を辞め、浜松の大学に移ってしまう! 大震災のほぼ一年後のことである。この行動力に惚れない人がいるだろうか。
危機感、使命感の、このハンパなさ! 第四章「震災の歴史に学ぶ」は、先生渾身の、メガトン級の記述が満載である。過去にあった地震活動期の恐ろしさ、現在が活動期に当たるという論証。元禄時代の日記の中から大地震当日の記述を見つけ、書き手が座敷を這い、倒れ、庭に飛び出て、という下りをストップウォッチ片手に忠実に「一人芝居」し、いったい何秒揺れたかを検証する様子は圧巻(?)である。そこまで書いた元禄人にも拍手だが、イソダ先生がいることにも我々は深く感謝すべきである。それにしてもここまでの「読み手」になるまで、この先生はどれほどマイナーでこまかな史料を紐解き、一字一字を追ったことだろう!

本書の目玉のひとつに、予想される南海トラフ連動地震の際の、新幹線の危険性指摘がある。揺れの最中にもう津波が来る。新幹線の定員は約千三百人、現在の過密ダイヤを思えば恐ろしい。それを細かく力説したのちの、本書のラストがふるっている。
「関ヶ原見物作法」! 先生は高校生の砌より、東京から新幹線に乗るときは家康の心境で臨む。安倍川が見えたときから、気分は人質時代の竹千代だそうだ。逆に新大阪からは、もちろん石田三成になりきって、山崎合戦の戦場跡からすべて見逃さない覚悟で向かい、関ヶ原を見て「小早川はひきょう」と叫ぶのだ。雪で徐行運転になった際は「至福の時だった」という先生にとって、新幹線すら、ただの移動手段ではない。こんな「情熱の人」だからこそ、わざわざ転職して地震の研究を始めるような力技をしてのけたのだ。筆者はせめて、大震災から二年と半年たったいま、本書をあらためて紹介することで「歴史学者が唱える地震への備え」が少しでも広まらんことを、強く願う次第である。

図書館 司書 関口裕子