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「この一冊」 図書のご紹介

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学
イベリコ豚を買いに

イベリコ豚を買いに


野地秩嘉(小学館 2014年)
2016/02/29更新201602
分類番号は648.2。ガツンと来たのは「仕事の本質とは、毎日やる事務連絡と結果の確認、そして参加者の情報レベルを統一すること」という一節。ほんとにそうなのだ。これをわかってくれない人が混じっていると、ことは紛糾する。

いいタイトルだ。きっとスペインに行って豚にご対面して、美味しくいただくお話だろう。そう思って読み始めた。
だいぶ違った。
いつの間にか日本に浸透したイベリコ豚。本書の著者は「豚肉がそれほど輸出され、また需要もあるものなのか」と思っていたが、そこに「本場ものを食べてきた」という人が現れる。「何百年も前から放牧で育てられてきた豚。どんぐりも、豚自身が好んで食べてきたのだ」と力説され、がぜん興味を持つ。そして目の前にほやほやの生ハムが。
ほのかなナッツのような香りがする「現地なら精肉も食べられますよ」。
この巧みな誘いを受けたのが、ベテランのノンフィクションライターだった。
熱烈に誘ったのが、有機野菜の宅配で有名な業者。
そしてその“生きた文化”ともいうべき豚を提供してくれるのが、イベリコ豚の精肉を専門に扱うスペインの現地会社の社長。相手にとって不足なし。
が、いちげんさん的に取材を申し込んだら門前払いを受ける。折悪しく日本では口蹄疫が大問題となっていた。騒ぎが収まってもなかなか門は開かない。
ジャーナリストは考えた…「買うと言ったらどうだろう」
取材ではなく、商売にするのだ。結果、無事に道は通じたが今度は「豚の精肉を輸入して商品化し、販売する」という、もちろん生まれて初めての難題に直面してしまった。
そう、本書は、豚を食べる話ではなく、ただ買ったという話でもなく、豚肉を商うまでの話なのである。

もちろん、精肉の輸入や加工や商品開発や販売など、素人がひとりでやれるものではない。
著者はほとんど泥縄のように勉強しながら、プロ達に相談し、助力をあおぐ。なので、さまざまな「プロ」が登場する。
「イベリコ豚の美味しさを伝えるのが生きがい」という日本人の現地商社マン。
グルメ食材の輸入販売会社の社長。
元は渋谷の有名ビストロ、今は岩手で知る人ぞ知るレストランをやっているシェフ。
銀座のフレンチのオーナーシェフ。
北海道にある肉の加工品を販売する会社。
彼らプロ中のプロ達にまじってジャーナリストが奮闘する。その奮闘ぶりが、いかにも「迷走」で、いい。ネットで検索しまくりデパ地下めぐりをし、各地を訪ね人に会うが、なかなか具体的な成果に結びつかない。当たり前だ、初めてなのだ。本業もあるのだ。そして旅費とサンプルの輸入代でどんどん支出はかさむ。焦る。

本書に次々登場するさまざまな知見の説明が、巧い。著者もこの分野の素人だから、素人の読み手の反応がわかるのだと思う。そして、人物描写はさすがだ。彼らの人となりを描くことが、本書の本質に重なる。
ユーロ危機やアベノミクスなど、社会状況も変わるなか、商品売り出しまで実に4年。だが、もろもろの要素が絡み合いながら、最終的に商品開発に成功し(おいしそう)、再びスペインの地で現地のプロたちと乾杯するラストまで、もう、あっという間だった。
そう、著者は、豚肉の業者としては素人だったが、掛け値なしにホンモノのジャーナリストだった。だからこそ「食べ物を売る」ということについて、これほどユニークな本を紡ぐことができたのだ。
「ドヤ顔感の薄さ」もたまらない。
本書には重要なモチーフとして、ゴヤの「砂に埋もれる犬」が何度か登場する。この絵に自身やプロたちを投影しながら、ひっそりと「私は悪い取引相手ではない」とつぶやくところに、ひそやかな爽快感があった。

ということで、思ってた味とは違うけれど、たいへん美味しく読み干した。ごちそうさまでした。スモークハムを食べて乾杯したい。

図書館 司書 関口裕子