この一冊
前へ戻る
フタバスズキリュウ もうひとつの物語
分類番号は457.8。本稿、敬称略で書かせていただきました。それにしてもネットや携帯電話の普及前は、海外って遠かった。情報も少なかったし、タイムラグもあった。図書館では各大学の所蔵雑誌を紙の目録で調べていたっけ。隔世の感があるなぁ。

フタバスズキリュウ もうひとつの物語

佐藤たまき 著(株式会社ブックマン社 2018年)
2019/05/08更新201903号
本学には、赤い屋根の洋館がある。かのヴォーリズの指揮で明治時代の旧麻布区役所を移築してきたと伝わる建物で、二階にはワイルドライフ・ミュージアムがある。
つやつや光った木の階段を昇っていくと、キリンと、吊り下げられたスナメリの骨格標本が目に入る。本書の、さまざまな骨格写真や、古生物たちの細密画を見て思い出したのが、そのキリンとスナメリがたたずむ明治の建物だった。
それにしても本書には何人、学者が登場したことだろう。著者の佐藤たまきが最初に出会った先生・濱田隆士、佐藤と同じ東大地質学出身でカリフォルニア大教授となった藻谷亮介、同じく先輩で京大霊長類研に進んだ江木直子、東大で“骨ゼミ”を主催し指導に当たっていた犬塚則久、佐藤の卒論指導教官となり研究の基礎を叩きこんだ大路樹生(ウミウリ研究家)、同じく卒論指導を担当し、佐藤の『Nature』での華々しい論文レビューの共著者となった棚部一成(アンモナイト研究家)、佐藤に化石のクリーニングを教えた科博の冨田幸光、首長竜の研究を始めた佐藤にホベツアラキリュウの標本を提供などした仲谷英夫、国内に首長竜研究の師がおらず留学を望んだ佐藤と、シンシナティ大との架け橋になった古生態学者D・マイヤー、そこで最初の指導教官となったG・ストアーズ、博士課程で佐藤をカルガリー大学大学院へと導いたカナダ王立ティレル古生物博物館のE・ニコルス、大学院の指導教官R・ホール、ティレル博物館で佐藤をバックアップし自宅でドッグシッターをまかせるくらい親しくしたP・カリー夫妻、ポスドクとして佐藤を支え、のちにカナダ自然博物館に進んだS・ウー、博士号をとったもののポスドクの職探しにさ迷う佐藤を北大へいざなった魚竜研究家・箕浦名知男と、受け入れ先となった大原昌宏(昆虫学者)…つらつら書くと、改めてすごいな!(*敬称略)
しかし、その「つらつら」の壮大なつながりで筆者は、恐竜の研究とはどんなだったか、実感できたのだ。 筆者、それほど恐竜に詳しくなかったのだが、本書は、フタバスズキリュウの本ではなく、フタバスズキリュウが「フタバサウルス・スズキイ」になるまでの物語だった。発見時には生まれてもいなかった佐藤たまきが中心となって記載論文(形質などを詳細に記載して論文を発表しないと新種と認められない。フタバスズキリュウは新属新種!)が書かれ、発見から38年にして学名がつくに至るまでの道である。巻末で彼女と対談しているのが記載論文の共著者のお2人で、真鍋真は佐藤と13歳違い、長谷川善和はそのさらに29歳年上だ。もちろんフタバスズキリュウの発見者(鈴木直)との対談もある。
「個人的には何も貢献できなかったというネガティブなイメージ」(真鍋)・・・そんなわけないじゃないか!「38年ほっといたわけではない」(長谷川)・・・そう、本書を読むとよくわかる。ホントにそうなのだ。
「日本では大型恐竜の骨なんて出ない」という常識を覆したフタバスズキリュウ。大規模な発掘作業、産状模型の製作、保存のノウハウなどの確立からしなければならなかった。「いちばん研究をしない研究員だった」と謙遜する長谷川善和は、古脊椎動物の専門家としての腕を買われ、大阪万博ブームや恐竜ブームのなか科博で魚から哺乳類まで展示を手がけるなど大忙し、しかも他の博物館や展覧会などからの協力依頼も引きも切らなかった。その多忙の合間を縫うように研究を続け、フタバスズキリュウの頭部の欠損や、頸部の骨の足りなさなどから記載論文執筆への壁を実感していたのだろう。真鍋にしても、日本ではまだ首長竜のデータが足りなさ過ぎると嘆きつつ、佐藤の首長竜研究をさまざまに支援し続けた。そして専門家に成長した佐藤にフタバスズキリュウを託したのだ。彼らが、研究だけに没頭したいのは山々ながら、古生物学研究の第一人者として、若手の育成や啓蒙活動も行っていたのであろうことは容易に想像がつく。

古生物の研究には、まず佐藤の言う標本運が必要であることなど、本書であらためて知った事柄は多い。だが筆者は、彼女が研究を始めた頃からの図書館界はよく知っている。その頃から、知識のやり取りは劇的に進化していった。というより、世の中が音を立てて変わっていった。佐藤はおそらく、最初のセンター試験実施で東大に入った世代で、学生時代に『ジュラシック・パーク』が公開されており、羽毛恐竜が初めて発見された1995年に渡米する寸前には阪神大震災や地下鉄サリン事件が起こっている。その後、ポストドクター等一万人支援計画が始まり、ポスドク増加はやがて社会問題になった。WindowsもデジカメもPDFも、渡米後に普及した筈である(ちなみに当時、日米関係も冷え込んでいった)。
社会が移り変わるなかで彼女は、ポスドクの職探しを続け移り住みつつ、ひたすら研究を続ける。帰国するたび驚くことも多かったと思うが、彼女が進んだシンシナティ大は、創造的な建築物が建ち並ぶ、全米でも屈指の美しいキャンパスと聞く。ネットワークで整備された図書館では無料で全米から文献が取り寄せられたという。羨ましい。そしてカナダから北海道へと。読んでいて楽しかった。
彼女の活躍を照らすのは、あの洋館が建てられた頃の、古式ゆかしい縦書きの論文から続く、研究のつながりである。いま、夏休み子ども科学電話相談で大人気の古生物学者・小林快次は本書にも登場するが、彼や佐藤の存在に惹かれて今また、少年少女たちが電話をかけてきているのだ。フタバスズキリュウはそれら「もうひとつの物語」を静かに見続けている。そもそも発見した鈴木少年(当時高校生)にしたって、研究者が書いたものから、発掘に興味を持ったのだ。
魅せられたのなんのって。

図書館 司書 関口裕子