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動物科学科

プロラクチンによる母性行動の制御機構
動物生理制御学教室 教授 田中 実

プロラクチンは脳下垂体前葉で産生分泌されるホルモンでありその主要な生理作用として哺乳類の乳腺の発育促進作用がよく知られているが、脳に作用して母性行動の誘導にも働く。

 我々はプロラクチンの動物個体での生理作用を明らかにするために米国のシンシナチ大学のNelson Horsemanの研究室と共同でプロラクチンのノックアウトマウスすなわちプロラクチン欠損マウスを作成した(1)。 このプロラクチンノックアウトマウスは予想どおり卵巣におけるプロゲステロン合成の不全により雌が不妊となり、またミルクを産生するための乳腺胞の発育不全が認められた。

母性行動に関してはプロラクチンノックアウトマウスの雌は不妊であるため自身の仔に対する母性行動は観察できない。 しかし、マウスやラットではバージンの状態でも仮仔を同一ケージに入れると、仔を巣に集めて上にかがみ込むという母性行動が観察される。
そこでプロラクチンノックアウトマウスの仮仔に対する母性行動を調べてみると予想に反し、正常マウスと同様の母性行動が観察された。

プロラクチンは標的器官の細胞に存在するプロラクチン受容体に結合することによりその作用を発揮するが、フランスのグループが作成したプロラクチン受容体のノックアウトマウスでは母性行動が見られない。
プロラクチンは授乳中の母親の血中だけでなく母乳中にも多量に分泌され、その一部は乳仔の腸から吸収され血中に移行することが知られている。

また、胎児期には胎盤でプロラクチンと同様の作用を有する胎盤性ラクトゲンも産生されている。 したがってプロラクチンのノックアウトマウスは自身ではプロラクチンを産生することはできないが、胎仔期および乳仔期に母親由来のプロラクチンおよび胎盤性ラクトゲンが脳へ作用することにより、将来の母性行動の発現に必要な神経回路が形成され、成体時に自身でプロラクチンを合成出来なくても母性行動に異常がなく、一方、プロラクチン受容体のノックアウトマウスでは胎仔期や乳仔期にも全くプロラクチンおよび胎盤性ラクトゲンの作用を受けないため必要な神経回路が形成されず、成体時に母性行動不全をきたすと考えられる(図1)(2)。

プロラクチンが作用する時期
図1. プロラクチンが作用する時期
母親由来のプロラクチン(PRL)および胎盤由来の胎盤性ラクトゲン(PL)がプロラクチン受容体(PRL-R)を介して胎仔の脳に作用すること、さらには母乳中に分泌されるプロラクチンが乳仔の脳に作用することにより将来の母性行動に必要な神経回路が形成されると考えられる。

ラットにおいて、幼少期に母親からのケアを充分受けた仔は成体時におけるストレス耐性が高まり自身も仔のケアをよくするという報告がなされている。幼少期における脳への刺激が成体時における母性行動の発現に影響するならば、母乳中のプロラクチンが乳仔の脳に作用し将来の母性行動に必要な神経回路の形成に働いている可能性も充分考えられる。

最近我々はラットおよびマウスのプロラクチン受容体遺伝子における脳特異的な発現調節領域の存在を見いだし(3)、現在、その調節機構を利用して脳特異的にプロラクチン受容体の働きを操作したマウスの作成に取り組んでいる。
こうしたマウスの解析により、母性行動を初めとするプロラクチンの脳への作用機構の解明が飛躍的に進むと期待される。

文献

  1. N.D. Horseman, W. Zhao, E. Montecino-Rodriguez, M. Tanaka, K. Nakashima, S.J. Engle, F. Smith, E. Markoff & K. Dorshkind: EMBO J., 16,6926-6936 (1997).
  2. 田中実 プロラクチンの脳への作用が母性行動を制御する:ノックアウトマウスが語る幼少期の脳への作用の重要性. 化学と生物41, 490-491 (2003)
  3. M. Tanaka, Y. Hayashida, T. Iguchi, N. Nakao, M. Suzuki, N. Nakai, & K. Nakashima: Endocrinology, 143, 2080-2084 (2002)