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第16号:「家畜の生きる意味と価値」

吉村 格(准教授/牧場長補佐)

2007/12/4 更新
 富士アニマルファームで繋留している動物たちは、家畜として目的をもって繁殖され、この世に生まれてきたものたちである。我々人間のように、住むことも食べることも心配することは何もない。明日を考えることもない。ましてや自分とは何か、どのように生きるべきなのかなどと悩む必要は全くない。人間の経済合理主義の思想の中だけで生かされ、殺され、その後は食料として目的と生涯とを全うすることになる。無事に生き抜いて屠場に運ばれる動物たちを見送るとき、その別れはある種の感慨を含む。
「商品としてよく仕上がった」という生産者としての達成感とともに寂しさも感じる。その寂しさというのは冷たいと批判されそうだが、死にゆく動物の命そのものに向けられた感傷ではない。それは動物の記憶の中に留まってあると思われる我々の過去の姿への惜別である。精一杯の自己犠牲を払って飼養管理をし、大切に扱ってきたことを誰よりも知っている動物たちの死は、自分の人生の一部が削除され消滅するような寂しさを感じさせる。
一方、飼養管理の途中で目的を達せずに様々な理由で斃死する動物たちもいる。この世に産ましておきながら、生きる意味と価値とを見い出してあげることができなかった動物たちのことである。これほど辛く悔しく悲しいことはない。勿論、死に至った全ての責任は、生殺与奪の権限を有する飼養管理者である我々にある。 合掌