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第39号:世界五大品種の乳牛「ガーンジィ」

吉村 格(准教授/副牧場長)

2009/4/10 更新
 『人生の喜びは誕生であり、悲しみは死である』という単純明快な人生の捉え方を私が教えて頂いたのは、青年時代の師である故吉崎千秋先生である。旧満州国千振開拓団の団長として活躍され、シベリア抑留後に日本に引き揚げられた後は栃木県の那須の原野を入植開墾し、再びその地を「千振」と名付けて戦後の食糧増産のために時を刻んでこられた方である。
 同時にシベリア抑留者の帰還を促す運動や国際農友会の派米実習生制度の創設に尽力され、さらには東京農業大学で教鞭を執られたり、全国の開拓者を代表して参議院選挙に出馬するなど多忙を極めた活動をされた。その後、三井・三菱・住友などの商社が出資して設立した南米開発株式会社に乞われ、パラグアイ国イグアス地区での開拓に手を染められることになる。60歳の頃のことである。CAYSA(友情の牧場)と名付けられた1万町歩にも及ぶ原生林へ若者達を引き連れての入植であった。
 私は吉崎先生の最後の不肖の弟子としてその地で指導を受けることになったが、多くの優秀な若者達の中でずば抜けた出来の悪さにほとんど閉口されたに違いない。それでも鍬を使った中耕除草の手ほどきに始まり、野菜作りや鶏・緬羊・豚・牛の飼養管理など、いつも暖かい眼差しで接して頂いた。
 毎日5時から始まるマテ茶を飲みながらの早朝会議では、ご自分の東京帝国大学から始まる開拓人生のことを縷々述べられ、我々青年が何をなすべきかを熱く語られた。先生にとっては食糧生産のための「開拓の人生」であったが、前進気勢だけが取り柄の私は自分自身の「人生の開拓」などと生意気なことを言って困らせた。当時の無知な私には、このレベルの人達が天から与えられた自分の人生の価値や意味をどのように自覚し、それに伴う背負わなければならない贖罪を果たすためにどんなに苦しんでおられたかを全く理解することができなかったのである。
 ブラジルに渡られる吉崎先生との最後の別れの時、南米の縦断道路で私と家内に手渡された藁半紙には『前方、一歩一歩を踏みしめて』という文字が力強く墨で書かれてあった。大雨の中を泣いて受け取った記憶が生々しい。雨で染みたその文字は座右の銘として今も私達夫婦を見守ってくれている。先生の人生の最晩期は、満州時代からご苦労を共にされた那須地区の皆さんのお声掛かりもあって千振の開拓地に身を寄せられ、開拓者として土を耕されながら生涯を閉じられた。
 そんな吉崎先生のご縁で、開拓者のご子息のひとりである那須高原にある南ヶ丘牧場代表の岡部勇一郎様にご無理を申し上げガーンジィ種(初妊牛)2頭を大変廉価でお譲り頂いた。現在3代目の娘牛たちは富士アニマルファームの表看板である5大乳用種の一品種として展示し学生達の教育に供している。