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第63号:「自主的な実習」

吉村 格(准教授/副牧場長)

2010/9/10 更新
私が本学に奉職を始めたとき、かっての付属小野田牧場では2年次獣医学科の25名程の学生が参加する「牧場実習」しか行われていなかった。それから四半世紀、昨年度は2学部全学科の650人余りの学生達が生産現場に足を踏み入れた。動物科学科では1年次、2年次、4年次が、食品科学科では3年次が、獣医学科では1年次、2年次、4年次、5年次が、看護学科では1年次が、実習の名称も内容もそれぞれ異なってはいるが富士アニマルファームにおいて畜産や動物についての意義ある勉強が行われたと思っている。
これまでも「実習」とは座学を補完するものだということを何度も書いてきたが、基本は座学であることは論を待たない。座学における授業の中心は学問体系の把握とその専門的な内容を説明する言葉の定義であろう。一方、実習は現場において「見る」「行う」「考える」を実践することである。いみじくも昔の人が言った「百聞は一見にしかず、百見は一行にしかず、百行は一考にしかず」というのは「実習」のために与えられた言葉だと言ってもおかしくはない。そこに私は「百考は一省にしかず」という言葉を付け加えた。何故なら実習を終えた学生からは自分たちの今を反省し、現在の殻を破り捨てステップアップしようとする姿が如実に見て取れ、それこそ価値あるものと思うからである。
たとえ将来を左右する重大な事柄であったとしても言葉だけの重みで、満たされた生活を送っている学生を一歩でも冷水の域に踏み出させるということは至難の業であると思う。残念ながら、言葉の多様性と重層性は受け取り手の都合によって自己弁護に陥りやすいからである。しかしながら、何故か人は身体をぶっつけ五感をもって直接感じ取ると新しい局面を開きたがるようにできているようだ。未来の危険に対処しようとする若い肉体がもつ不思議な能力は今か今かと覚醒するきっかけを待っているのである。
さて、今年も実習の合間を縫って自主的な実習の申し込みがあった。この時期、休暇を取ることが許されない職員のことを考えると、富士アニマルファームを総括し彼らの健康管理も考慮しなければならない私は引き受けを躊躇してしまう。しかし、担任や所属教室の教授から何度も頭を下げられると、もう少しだけ頑張ってもらおうと説得にあたるのである。やって来たのは産業動物の臨床に就職が内定している獣医学科6年次の小沢さんと針谷さんであった。彼女らと会って疲れ果て青菜に塩の状態であった牧場のオジサン達の顔がみるみる間に赤みを帯びて元気になっていくのが分かる。親の顔が見てみたい、どのように育てたかを聞いてみたい、我が家に嫁の座を一つ用意しなければと思った。職員達のこれまでの実習で疲れた心と体を癒すのは、休暇を与えるよりも迎え酒と同様に、レベルの高い学生を「自主的な実習」と称して指導することの方がいいのではないかと思った瞬間である。