ブログカテゴリーイメージ
前へ戻る

第66号:「カワイイ」の意味するもの

吉村 格(准教授/副牧場長)

2010/11/16 更新
牧場だより「継・いのち」 第66号
 シャイな学生の発する言葉であるので、事実と言明が、目的と行動とが必ずしも一致しているわけではないが、彼らが多用する「可愛い」という言葉にはどういう意味があるのだろうか。かつて人生の大先輩であるお年寄りに対して若い娘達が「可愛い」といって顰蹙を買ったことがあったが、その言葉は「愛」という文字を含みながら、いかなる性質の「愛」なのだろうか。どのような時と場合に使うことによって適切な言葉となりうるのだろうか?
 家畜を日々管理する我々にとって、「可愛い」という言葉は多用する言葉ではない。家畜を扱う人間にとって、その動物が目的を果たそうとして生存している姿に対して価値を認め賞賛するときに発する言葉は「よい家畜だ」が常である。乳用牛として生まれ、子供を産み乳を多く出すことができるような体型、競走馬として生まれ、丈夫で早く走ることができるような体型などである。人間の望んだ機能性を予測させ、あるいはそれを十分に発揮している家畜は「よい家畜だ」という言葉が使われる。
 実は「可愛い」という言葉は、日常的に家畜に触れる機会の少ない人間が発する言葉であるように思われる。特に幼い家畜の真骨頂である脆さと弱さをさらけ出している肢体とあどけない顔立ちや健気な振る舞いは、素人の観察者達を魅了し「可愛い」という言葉を連発させる。現実世界の危うさを知らない無垢な命を守ってあげたい。この運命的な出会いは神様がこの幼子達を冷酷な管理者の手から救い出し世間の荒波の防壁となるために自分を遣わされたのだと保護的な情動を喚起させるのであろうか。我々管理者はいつも批判の矢面に立たされる。
 「愛」という言葉は、与えるもの、奪うもの、見守るものとしてベクトルの方向性は対象との関係でまちまちであるが間違いなくどれも真剣である。一方、「可愛い」という言葉は、対象への好奇心的な関与に限られ、関係は脆弱でしかも希薄である。しかし、その「可愛い」と発した対象を、これからの関係で「愛」するに相応しい資格をもつものと暫定し、その可能性に対して今後理解を深める努力をすることを含めたものであるならば、シャイな学生の発する「カワイイ」という言葉は十分に意味をなす適切な言葉となる。だとすると富士アニマルファームに充ち満ちている「愛」の蕾を花開かせるためには、「カワイイ」という感嘆詞から「かわいがる」という動詞へ上手に誘い、専門家への道に導いてやるのが我々の努めであるようにも思われるのだが、職員達は「カワイイ」と発したままその場に立ち止まってしまう学生達に少々疲れ気味である。