ブログカテゴリーイメージ
前へ戻る

第70号:「バイエル号の思い出」

吉村 格(准教授/副牧場長)

2011/01/19 更新
バイエル号の勇姿

バイエル号の勇姿

 先日の「付属牧場便り」で紹介したバイエル号の母親はカロママ。中央競馬会の久恒調教師から血統が良いから繁殖用に使ってみないかと寄贈を受けた馬である。父親は薬来軽種馬トレーニングセンターで繋留されていた宝塚記念を2連勝したナオキ。私がそこで繋留されている30頭の繁殖牝馬の妊娠鑑定することを条件にタダで種付けをしてくれることになった。カロママは発情期間が長く受胎するのが難しい馬であったが、無理を承知でお願いした何度目かの交配でやっと妊娠させることが出来た。翌年の4月10日に父親譲りの前膝、飛節のしっかりした栗毛馬を私は夢と一緒に取り上げた。
 当時の付属牧場は、様々な問題を内外にかかえ、辛い時代であった。そうした中でバイエルは誕生した。この馬は私にとって希望そのものであった。競走馬になって輝くことだけを願った。久恒調教師は生まれたばかりの仔馬を見に来て下さった。牧場長であった本好先生が話をまとめられ買って頂くことになった。
 バイエルは、育成牧場に預けられトレーニングを積んだ後に中央競馬会でデビューした。我々の夢を背負ってよく走ってくれた。我が大学のみならず、法人の教職員にもファンが増え皆で応援に行った。勝っては皆を喜ばせ、負けては私を励ました。学生の中にはバイエルが勝利した時に、馬主、調教師、騎手に混ざって一緒に記念写真に納まる者も現れた。競争成績は40戦して1着4回、2着6回、3着5回を記録し、取得賞金は7700万に達した。図らずも引退後は馬主の小畑安雄氏から寄贈を受け、繁殖馬として登録を済ませ、生産者賞の一部を使って日本軽種馬協会の種馬と交配し妊娠させることができた。バイエルにとって富士アニマルファームに戻ってからの数ヶ月間の暮らしは、生涯の中で最も穏やかで平和な日々であったと思う。
 しかしながら不幸は突然襲ってきた。放牧中に疝痛を発症した。獣医は懸命に治療に当たったが徒労に終わった。藻掻き苦しんだあげくに、最後は自分の遺伝子を残さんとばかりに胎児を排出して死んでいった。私はまだ暖かい小さな胎児を取り上げて涙した。解剖の結果は腸捻転であった。私は、自分でもおかしいくらいに声を出してワンワンと泣いた。死んだバイエルに向かって、私が優しかったこと、私が一生懸命であったこと、私が間違っていなかったこと、私が人が思うほど嫌な人間でないことを問い掛けながら泣いた。泣ける自分を証明したくて泣いた。悲しみの時、知らぬ間に感情移入した動物から自分を慰めてもらおうとした行為、つまり相手の相手は自分であるという自分自身への問答が青臭い私を救ってくれたことの思い出、今は牧場の片隅でバイエル号と共に眠っている。