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牧場だより「継・いのち」 第86号 | 「福島の『放れ牛』」
第86号:「福島の『放れ牛』」
吉村 格(准教授/副牧場長)
2011/11/17 更新
昨年に引き続き1年次動物科学科の「入門動物倫理」の講義を木村教授に依頼された。畜産の生産現場で働く私の話は入学して間もないナイーブな学生の心を傷付けるのではないかと心配しながらお引き受けした。自分でも自覚できる程のたどたどしい授業であったが有り難いことに学生達は私が話す家畜の飼養管理について耳を傾けてくれた。動物たちの命の誕生と行方に関心を示し、人間と共存できる範囲を考えようとする学生達の真剣な眼差しは私の心配が杞憂であることを分からせた。最後に学生達の質問を受け取って授業は終了した。預かった質問用紙の中に「福島の『「放れ牛』をどうすべきだと思いますか?」という私の倫理観を試される重たい質問が混ざっていた。
この「入門動物倫理」の授業では、口幅ったいことを承知で私の考える「倫理」とは何かということを学生達に講義している。それは実践する課題に立ち向かう際は、「常識だから」「道徳だから」「法律だから」という外的規範に身を任せるものではなく、自分を自分たらしめている本質的な魂の構え、即ち内的規範に身を任せるものであることを話した。そして私は自分自身の「存在そのものの罪」を考えながら、悩み、葛藤し、真摯に考え続けたいと強調した。少なくとも「倫理」という言葉は、道徳の名の下に相手を非難したり裁いたり、他人の良心の存在を吟味するものではないということも付け加えた。
今回の原発事故が原因で「放れ牛」「繋がれたままの飢え死に牛」が発生した。農家は一方的な被害者であり真っ先に救援されるべき対象である。事故後に放射性物質の飛散や規制値を超える放射能汚染の注意を呼びかけながら、国は損害賠償と今後想定される被害に全責任を持つという明確なメッセージを出すことをしなかった。国が原発事故の迅速な情報公開をし、畜産の生産現場が安心して展望をもてる対応をしていれば前代未聞の修羅場の事態は防げたはずだ。しかし国の対応は中途半端に遅れた。農家が政府に対して強い不信感、やり場のない怒りを抱くのは当然である。未だ事態終息は見えず体制整備も不十分なままである。冬が近づき福島ではそろそろ「放れ牛」が食べる草も枯渇する頃だろう。
さて、学生の質問への私の答えである。「放れ牛」の将来はその牛の所有者に委ねるべきで他人がとやかく言う事ではない。では私だったらどうするかとの問いには、私は「放れ牛」となる前に、「飢え死に」する前に家畜として自分の手で処分してやりたかったと思う。幸せの時も不幸なときも人間の側で生きることを前提に家畜という名を与えられ、目的をもって繁殖が人間の支配下に置かれ、目的を果たすまでの生活の保障を受けるのが家畜であるならば、人間のために生まれてきた家畜という名の動物の生涯を自分の前で完結させてやりたかったと思う。生きてまた会うことを念じながら牛舎の前を離れざるを得なかった畜産農家の人々の悲しみの深さを思うと胸が押し潰されそうになる。