富士アニマルファームMENU

牧場だより「継・いのち」

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学

第94号:「放牧への憧憬」

吉村 格(教授/副牧場長)

2012/06/15 更新
ブラウンスイス親子
 野生動物にとって親になることは真に「正しい生き方」である。また生まれた子供は親から譲り受けた生得的な行動に従い、親と同様の経験を積み重ねて生きることが「幸せな生き方」であると思う。親からの逸脱は綿々と続いてきた自然の掟からの逃避であり不幸な出来事の始まりである。では野生の血を残し家畜となった動物の「正しい生き方」とはどういうものであろうか? 結論から言えば、それは人間の意に沿って増殖し、価値あるものを生産して生き続けることこそが「不幸でない生き方」、即ち「正しい生き方」であると思う。
 一般に家畜と呼んでいる動物は、地球上に数多いる野生動物の中でストレスに対する閾値が高く、行動の自由を奪い易いが故に我々の側で生きることになった動物たちである。人類はそれらの資質に寄りかかって豊かな食生活を享受している。現在の酪農家は、乳牛を飼養し、消費者に牛乳1リットルが200円前後で届けられるように100円前後の手取りで生産できる体制を構築している。低価格を求める消費者の要望に応え、経営の効率化を重視し、購入飼料を多給して多頭化を進展させ、舎飼の飼養形態を充実させて乳牛の高能力化を図ってきた。そうしなければ酪農経営が成り立つことはなかったからだ。
 草食動物を放牧し無から有を産むという職業に憧れてこの業界に入った我々は、乳牛に流れるの野生の血を鎮め「不幸でない生き方」から「幸せな生き方」へと導く方法として放牧を主体とする飼養管理を夢想し続けた。しかしながら、自然と向き合い、よい土を作り、よい草を育て、乳牛を健康に飼おうとしても、どのように考えても生産性が低くなり効率は下がってしまう。それどころか高能力となった現在の乳牛を放牧中心の飼養スタイルで管理すればバタバタと倒れていくのは火を見るより明らかだ。当然、生産原価は高くなり、消費者に負担を求めなければkg100円の乳価で再生産することは不可能であろう。家畜の「幸せな生き方」を望む我々ではあるが、このように出口の見えない迷路に迷い込んでは度々立ち止まってしまうのである。
私の手許には分娩後のブラウンスイス親子が穏やかに寄り添った写真がある。この写真を見ていると、生活するために牛を飼っているという生臭さも生産者と消費者のぎこちない関係も現実の厳しい3Kの仕事からも一時を解放してくれる。かって牛飼いを志す幼い心が夢に見た広大な牧草地でのんびりと青草を頬張る牛達の姿、その憧憬をこの写真は甦らせ家畜の「幸せな生き方」に向けて『もっとしっかり考えよう』と私の背中を押すのである。季節は春から初夏となり、天からの恵みは目前に広がる牧草を一雨降るたびにスクスクと育て夏日がくるとグッと勢いを伸ばしている。放牧適性の高いといわれるブラウンスイスを牧草地で飼いたいと思う今日この頃である。