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牧場だより「継・いのち」

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学

第98号:「野犬の襲撃」

吉村 格(教授/副牧場長)

2013/07/24 更新
野犬の襲撃 檻
 学生の牧場実習が終わった翌朝、緬羊が放牧されている草地に向かうと無残な姿が目に飛び込んできた。2頭は既に息絶えており、他の3頭は噛まれてズタズタに皮膚が引き裂かれ瀕死の重傷を負っている。これらの傷は犬の仕業である。彼らは空腹を満たすために襲ったのではない。自分より弱い動物を仕留める狩りの本能が喜々として牙を剥かせたのである。早速獣医師の診療を受けて傷の手当てを行ったが、噛み傷というのはなかなかやっかいだ。縫合しても元通りになってくれない。化膿し無残に腫れ上がってしまった。その夜から栗田職員の寝ずの番が始まったが、犬の気配すら感じない平和な夜が続いた。
 それから暫くして栗田職員は寝ずの番を止め通常勤務に復したが、それを見透かしたかのように野犬はまた現れた。今回は1頭死亡、4頭が重軽傷を負い治療が続けられている。町役場から捕獲器の提供を受け、罠を仕掛けて待ったが全く効果がない。今日は他所でも被害が出たというので捕獲器は持ち去られてしまった。繁殖に供する羊は放牧場から引き上げて舎飼いをすることにした。やはり家畜である。彼女らは狭い緬羊舎の中で肩寄せ合いながら安堵の様相である。不思議なことに外に出している山羊たちには被害がない。何故だか分からないが、犬には犬の襲撃のための比較する基準があるのだろう。
 佐藤修平さんが職員として活躍していた頃であるので10数年前になろうか。同じように放牧していた緬羊が2回立て続けに襲われたことがあった。その時に被害にあったのは緬羊ばかりでなく畜舎内のケージで飼われていたウサギ・鶏も殺されてしまった。3回目の襲撃を待った。思った通り朝方近くに放牧地から聞こえてくる犬たちの共鳴効果による高度に興奮した吠え声と必死に逃げ惑う緬羊の鳴き声とで目が覚めた。棒きれを振り廻し、声を張り上げて追っ払おうとしたが3頭の犬が佐藤さんを囲んで威嚇始めた。結局犬たちは四散したが、佐藤さんの意見に従い地区の狩猟会に野犬を処分してもらうことにした。
 さて、当事者としての我々はどうすることが適切なのだろうか? 佐藤さんのように昔気質の人はある一線を超えると決意し行動することに何の躊躇もなかったように見えた。世間に惑わされない自分に対する基準が確かにあったように思う。一方、我々は白黒に辿り着けないグレーゾーンの中で世間の批判を恐れながら悩み、自分の意見を纏め発言することを控えている。残念ながら世間の客体としての常識は「野犬といえども命である」「命は平等である」「むやみに殺してはならない」といったものであろう。常識は虚ろぎやすい多数決として我々の側にいつも存在している。この常識にどこまで身を任せ続けなければならないのだろうか。我々が築いてきたものを本能のままに破壊していく「命」に対して、我々当事者が比較することは何故許されないのだろうか。