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牧場だより「継・いのち」

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学

第99号:「桜の記」

吉村 格(教授/副牧場長)

2013/08/07 更新
桜の記
 一年一年と美しくなる手植えの桜。この春、感謝の気持ちを手紙に託した。
 『 前略 今日の午前中の暖かい風に騙されたのか、先生が学生達と富士アニマルファームの開場記念として植えられた桜の木に何輪かの花が咲きました。午後には青空の下とはいえまだまだ冷たい春の風に晒されて上に下へと激しく揺り動かされています。難しい環境にめげずに競って咲こうとしているのは先生をはじめお世話になった人達への恩返しのつもりでしょうか。これしかできないがこれだけはできる、今日のために今日を使い切る、そういった精一杯の極みをこの花から教えられます。植えて18年、今年も少しだけ美人になりました。来年が楽しみです。単なる美しさだけでは評価できない18年間の色々なことへの愛おしさを込めてシャッターを切りました。ご笑納下さい。』
『 嬉しいニュースをありがとうございました。枝先に咲いた花には何の迷いもなく、咲くべき時期(とき)が来たので、花開いたと、至極明快ですね。当時はヒョロヒョロでしたが、昨年夏に確かめたら、幹の太さは両手の輪では収まりきらないほどに大きくなっていました。かれこれ植えてから18年ですか、立派に成長し価値あるものになったと言えるでしょう。管理もお任せしたままでしたから感謝するばかりです。私も桜のように、自らの判断で枝を伸ばし、花を咲かせ、人を楽しませることができる人間になりたいものです。牧場の皆様の御健康とご活躍を心からお祈り申し上げます。』
 それにしても桜という木はおかしな木である。たった10日間の花のために1年間をその準備のために生きる。それを管理する人間だっておかしな人達だ。苗を植え、毎年の違う気候を気遣いながら10年後、50年後の花見る人達のために今日を見守る。彼らは、有限な我身で無窮を追うことは出来ないが、植えた桜の木は遠い未来から求められることを知っている。目の前にある「桜の花」は実に美しい。さらに「人が人の為になし得たこと」はもっと美しいと思う。春の一時、桜の花の下に立つと「いろんな希望が湧いてきて」不思議と奮起する自分を感じる。
 ところがこの夏、車輌の往来に支障を来すというただそれだけの理由でその枝は深く切り捨てねばならなくなった。唯々諾々の私は「桜切るバカ、梅切らぬバカ」である。自分にとって何が重要な価値をもつかを見失ってしまった。『真は自分の心に求めるもの、だから自分に嘘はつけない。善は人の心に求めるもの、だから途絶えることはない。美は共通する認識として求めるもの、だから永遠である。』 我々が「人が人の為になし得たこと」の素晴らしさや「桜の花」は美しいといった共通の認識を持たずして、例えば「動物の命」に対する倫理なるものを難しい言葉で論じたところで何の意味を持つというのか。その場限りの愚かな戯れ事にしかならないと、今桜の枝を切って思い知った。