食のいま
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第42号: 小説の中の食Ⅵ 方丈記とむかご(零余子)

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。・・・・」という文で始まる鴨長明の随筆である方丈記(岩波文庫)の第三段に、「・・・・、子童有り。・・・・、零余子をもり、芹をつむ。・・・・」とある。
このぬかご(零余子)は通常「むかご(propagule)」と言い、広い意味(広義)では種々の植物に生じたものを言うが、狭い意味(狭義)では山芋のツルについている葉の根本に生じる腋芽とよばれて茎が肥大化(直径0.5〜2cm位の球状)したものである。むかごは栄養生殖体の一種で、これを地面にまけば種と同じように根と芽が出て地中に山芋が出来る。つまり元の山芋のクローンである。
畑で山芋を栽培していれば秋になるとむかごをたくさん採ることが出来るし、山などで自然薯(じねんじょ)が生えていれば、ツルさえ見つければ採ることが出来る。この採ってきたものを庭に播いておけば、むかごを何年にもわたって採ることが出来る。今では、「道の駅」などで売られてもいる。
ある時、むかごが道の駅で売られていたが、観光客の人が「これはどうやって食べるの。」と話しているのを聞いたことがある。あまり都会の人にはなじみのあるものではないらしい。料理本では、このむかごをご飯に入れて炊いた「むかご飯(めし)」とよばれるものが紹介されている。この時も私はむかごを買ってきたが、家の庭や小さな畑でむかごを採ることが出来るようにしてある。私はこのむかごを皮付きのまま単に茹でて、そのままお酒のつまみとして食べるのが好きである。お芋と同じでほくほくとした食感が非常にいい。むかごを醤油で煮てもおいしいだろうと思うが、ただ茹でるより一手間面倒なのでまだやってみたことはない。
地方の旅館などでは山野草の天ぷらなどがよく出てくるが、私たちの周りにもこのむかごのように結構食べられるものが有るものである。
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