富士アニマルファームMENU

牧場だより「継・いのち」

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学

第88号:「新しい革袋に」

吉村 格(准教授/副牧場長)

2011/12/20 更新
新しい革袋に
 2011年、尚9ヶ月余りが経っても支援と救援、そして故人を悼み喪に服する時間が必要な大震災の年であった。被災地の一日も早い復旧・復興を心から祈りたい。

 さて、富士アニマルファームは今でも小さな牧場であるが、20年前には写真にある廃業した農家が残した古い牛舎しかなかった。天井を通して満天の星が臨め、雨の日は濡れながら作業を行った。夏は低い天井と狭い通路が災いして大変に蒸し暑く牛達は汗をかき、冬は水道管が凍って昼近くまで水を飲ませることも出来なかった。山梨県の富士ヶ嶺で活動を開始して2年後、台風が通過して牛舎の南側の屋根が吹き飛ばされたので修理を行った。その2年後にやっと予算が付いたので北側の屋根もようやく修理することが出来た。当時はこんな貧しさだった。
 初年度にホルスタイン種2頭を導入し、翌年にジャージ種2頭を導入した。学生達に搾乳をさせたくて農家に頼んで少し乳が出ている牛を安く譲ってもらい実習に利用した。その中でも資質のよさそうなものには種付けし、雌が産まれたら頭数を増やしていった。その後、ブラウンスイス種、ガーンジィ種、エアーシャー種を順次導入した。和牛を4種、馬、緬羊、山羊、犬なども忙しい中を方々探し求め掻き集めていった。それぞれの1頭1頭には、管理することになる職員に申し訳ないという私の物語が詰まっている。遅々とした歩みであったが建物・施設が整い、車輌・機械を揃え、各種の動物が繋留され、やっとここまで辿り着いた。
 今年もいろんなことがあった。私の能力に見合った悪戦苦闘の1年であった。これまで組織的には応用生命科学部に属していたが、10月からは大学本体に直接付置する体制となった。今後どのような要望が提示されるのか楽しみである。特に獣医学科のカリキュラム編成に合わせて協力しなければならないことが多々ありそうだ。宮城県の小野田時代から現場の総括者として周囲に迷惑を掛けながら30年間を突っ走ってきたが、ここに時代遅れの60歳に近い初老になった自分がいる。「新しい酒は新しい革袋に入れよ」の諺通り、今年度に希望が叶えられ教員となった長田講師には新しい時代の使命を果たせるように頑張ってもらおうと思う。
 これまでの富士ヶ嶺での20年間は価値あることを創造する楽しみに充ち満ちていた。今日も5大乳用種からは1頭当たり平均30kgを超える乳が生産された。それらは栗田、寺岡両職員がヘトヘトになりながら頑張ってくれたお陰である。我々は与えられた環境で精一杯やれるところまではやった。繋留されている動物たちも少なくとも不幸ではなかったろう。しかしながら、2人しかいない職員の過重な労働をこれ以上常態化することは許されない。現場の総括者として自分の我が儘もそろそろ終わりにしなければならない。これを機に20年前に「附属牧場」から「富士アニマルファーム」へと名前を変更せざるを得なかった時代の原点に立ち帰り、惜しいがこれまでの努力と成果を棚上げして、再出発しようと思う。