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牧場だより「継・いのち」 第92号 | 「社会的貢献」
第92号:「社会的貢献」
吉村 格(教授/副牧場長)
2012/04/10 更新
「どこまでもやさしく牛を読む」の著者 増田淳子先生
前号の「附属牧場便り」で書いた木村先生の送別会には私がかって大変お世話になった人も参加されていた。元NHK報道局チーフディレクターだった増田淳子先生である。主に食生活や農業に関する番組の企画制作に携わってこられたが、口の達者な先生は現在農政ジャーナリストとして各種の委員会に名を連ね、畜産業界のことを社会に向けて発信し続けておられる。この先生とは3年間「すこやか食生活協会」という視覚障害者の団体に協力して全国の牧場を廻り、障害者が畜産の現場を訪れたときに牧場側はどのような対応をしたらよいのか、というマニュアル本を作成した。その事業の中で障害者と一緒に実施した「ふれあい体験交流会」は私の心の宝物である。
わが国の障害者数は知的・身体を合わせると750万人に達するといわれている。障害者と一口に言っても障害のレベルはそれぞれ全く違っていて、最近バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し、その後は世界的に活躍されている全盲の辻井伸行さんもいれば、完全に寝たきりの人達もいる。この事業の会議ではどの程度の障害者がどの程度の環境や条件が整えば畜産の現場に来場可能なのかという基礎的話し合いから始まった。会議に出席する委員の中には、目が不自由でも白杖だけで平気で地下鉄を乗り継いで会場まで駆けつける人や議事録をほとんどアンツウしている人、富士の裾野から都会に出てくる私のことを迷子にならないかと心配してくれる障害者の代表もいた。
ある県の公共牧場を訪ねたとき、そんな障害者の委員と牧草地の真ん中に椅子を並べて座った。言葉少なくして時を過ごすことの快感。我々が感じない風の動きと牧草の揺らぎ、世界の広がりと果てしの無さ、農村の臭いをきっかけに思い出す昔のことなどポツリポツリと話してもらう。この静けさは何だろうか? この穏やかさは何だろうか? この豊かさは何だろうか? 世界というものが自分の心の中にあることを改めて感じさせてくれる。ハンディを個性というのは簡単だが、大変な不便を背負って日々生活しておられるのに愚痴がない、自分より非力な人に対してとても優しい、健常者の我々への配慮も忘れない。皆で一緒に生きていかなければ自分は生きられないと覚悟を決め、与えられた環境の中で精一杯に頑張っておられる。
この事業の会議では、農林水産省の役人、それと繋がる各種畜産団体や障害者団体の代表が委員を務め、田舎者の私が座長の大役を果たすことなどほとんどできなかった。瞬く間に起案し、意味付けし、企画し、実行に移すべく計画を練ることのできる凄い人達の集まりである。私にとっては思い出すさえ恥ずかしい別世界であった。その時に隣で優しく見守って頂いたのが増田先生である。この増田先生、口だけでなく実に文章もうまい。過日、農林統計協会から「どこまでもやさしく牛を読む」という本を出版された。先生と酒を飲んで喋った私の愚痴が少しは世の役にたったのかなと自分を慰めながら、本など書けない私は「どこまでもおいしく酒を飲む」に徹して富士アニマルファームの社会的貢献を担っている。