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牧場だより「継・いのち」

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学

第127号:訓練による合意の形成

吉村 格(教授/牧場長)

2014/12/24 更新
人馬共に厳しい訓練に耐えて全国学生馬術界の頂点を目指す

人馬共に厳しい訓練に耐えて全国学生馬術界の頂点を目指す

 言わずもがな、親にとって子は宝である。白紙の状態で生まれた我が子の未来のために自己犠牲も顧みず躾や教育を施し価値の基盤を与えようとする。「躾」とは今後の社会生活において困らないように礼儀作法を身に付けさせることであり、「教育」とは望ましい知識・技術・規範などの学習を子供自らが出来るようにするための働きかけである。全ての親の頑張りは子がより良く生き抜くための願いであると言っていい。しかし、子を持つことの幸せより子を持つことの苦労はなんと大きいことか。親の期待はいつも見事に裏切られ心配の種は尽きることがない。親と子の二人三脚は、互いを試しながら合意形成をしていく長い人生道中であり、喜びや戸惑いや憎しみを織り交ぜながら良くも悪くも濃密なものになっていく。そして子は、その家に合った子として育っていくのである。
 よく使う言葉に「振る舞い」というものがある。我々は人の行動を見て「振る舞い」が美しいとか、「振る舞い」が素晴らしいと言って形容する。聞くところによると「振る舞い」とは「振る」と「舞い」の合成語で、「振る」というのは真似ること、「舞い」は自分で考えて行うということだそうだ。「振る」が「躾」で「舞い」が「教育」と言っても大きな違いはないだろう。我が子の振る舞いや、それに続く孫の振る舞いをつぶさに見ていると、粗野でバランスの悪さが目に余る。我々夫婦のもつ遺伝子と、施した躾と教育の欠陥が子に如実に現れ、それが孫に引き継がれて社会に迷惑をかけると思うと誠に申し訳ない。しかし、子への価値の移譲ができず親の希望に沿うことが叶わなかったとしてもその子がその家で排除されることは決してないのが人間である。
 一方、生きているだけで価値のある人間と違い、人間に奉仕することでその生存が許される家畜に対して「躾」「教育」と同様に使う言葉に「馴致」「調教」がある。特に、牛や豚、鶏などのように乳や肉、卵といった直接の生産物によって評価される家畜と違って、馬や犬などのコンパニオンアニマルと称される動物は人間の意志に従って従順に行動することが求められる。そのため人間とのコミュニケーションを確立させ人間の役に立つためには「馴致」「調教」といった訓練を経る必要がある。「馴致」とはその動物を環境に慣れさせ馴染ませること、「調教」とはその動物を目的のために潜在する能力を発揮させ進化させることである。人間との信頼関係を軸にして安心して暮らせる環境を整え、生まれてきたことの目的である人間への奉仕のために技能を獲得させる。
 「馴致」「調教」は、コンパニオンアニマルに人間の意思を反映させるための基盤となる。環境を整え、種を蒔き、芽を育て、すくすくと育って実を結ぶように目的に向かって段階的に訓練を施す。牛や豚、鶏などの家畜が生産物を供給できなくなると廃用されるように、彼等も「馴致」「調教」が行き届かず目的の技能が獲得できなければ天寿を全うすることなく廃用になる可能性は極めて高い。人間より大きく、力があって、人間に向かう暴力性が自制できない個体はさらに早く屠場に送られることになる。何れにしても、たまたま巡り会った飼い主・管理者・調教師といった人間側の訓練を施す手腕によって合意形成がなされ技能が獲得されるが、その進捗度こそがその個体の寿命の長さとなることも事実である。生まれた目的を果たすために今日も厳しい訓練が課せられるのである。