富士アニマルファームMENU

牧場だより「継・いのち」

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学

第56号:受精卵移植技術による仔牛の誕生

吉村 格(准教授/副牧場長)

2010/5/27 更新
誕生
2010年5月9日は記念すべき日となった。1890年にケンブリッジ大学のヒープ教授がアンゴラ兎の受精卵移植の成功を報告してから100年あまりの時間を経て、我が富士アニマルファームでも初めての受精卵移植技術を利用した牛の産仔が誕生した。我々の希望通りに、予想通りに、雌の双子であった。牛島教授が新任のご挨拶とばかりに、昨年の2年次動物科学科の実習中に学生達が見守る中を黒毛和種から受精卵を回収し、褐毛和種に移植した結果である。現在のところ仔牛達は、2頭とも母親のお乳を吸ってスクスクと順調に成長してくれている。
ちょうど分娩した日は、武蔵野市の子供達30人、それに対する学生や教職員30人集ってワイワイガヤガヤのお祭り騒ぎの最中であったが、我々が受卵牛として白羽の矢を立てた褐毛和種はそのようなことでへこたれる母性のレベルではなかった。それらの喧噪をモノともせずに、分娩に、その後の哺乳に全力で子育てに集中してくれ、我々の新しい技術に取り組む姿勢を鼓舞してくれている。一方、受精卵を提供した黒毛和種の系統は実に素晴らしい血筋である。この牛には、母として1年1産を身を削って頑張ってもらうよりも、多くの優秀な子孫を残すために人為的に多排卵の処置を施し受精卵を供給することに徹して貰うつもりである。
産んだ母親の褐色の毛色と生まれた仔牛の黒色の毛色の違いを見ると、人間の都合に合わせて性周期が調整され、自分とは縁もゆかりもない命を受胎し、長く不自由な妊娠期間を過ごし、月が満ちたら生み落として授乳するという、まさに家畜とは人間に繁殖がコントロールされた動物であるという定義を素直に納得でき、畜産という産業の神髄を垣間見る思いがする。
新しい技術に対して需要が喚起されると、その技術は経済的な価値を伴って急速に進展する可能性がある。一般社会からはかって家畜の人工授精がそうであったように、現在の人工繁殖技術をはじめ新たな取り組みに対して倫理の枠を逸脱していると批判を受けることもある。しかし、自分の生活防衛を第一義的に唱える消費者の価格訴求に応えるためには、生産量を増やすか、生産費を減らすしかないのが生産現場の悩みである。そのために生産者はいつも家畜を満杯にした畜舎で這々の体で働き、それでも対応できなくなると苦しみながら新しい技術を求めて彷徨うことになるのである。我々は帰属集団である彼らのささやかな幸せに貢献するためのお手伝いをしたいと考えている。