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牧場だより「継・いのち」

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学

第73号:「世代交代」

吉村 格(准教授/副牧場長)

2011/3/1 更新
シバヤギ

シバヤギ群

 生産するための牧場であっても、展示するための動物園であっても、際限なく動物を飼うことなど出来ないものだ。必ず何らかの制限を受けることになる。富士アニマルファームにおいても繋留家畜の頭数は、与えられる予算、繋留場所、マンパワー、糞尿処理の能力などで制限され、先日の「付属牧場便り」で書いた放牧地の草の状態が制限要素に加わることもある。学生達にできるだけ多くの動物に接してもらいたいと考えている富士アニマルファームでは、実習や実験で利用したい人達の要望と現実の制限要素とを摺り合わせながら、そしていつも喜んで貰おうと無理を承知で少々多めの頭数が飼われている。
 畜産とは文字通りに「産まして蓄える」産業のことである。また、産まれてくる世代は先代の能力を超えることが期待されて再生産が行われる。繁殖管理技術と栄養管理技術を駆使して高い生産性を目指すことは農家の存続条件であるが、昔と違って動物福祉を問われるまでもなく「良質の個体」が「よい飼い方」で健康的に飼われている。そうでなければ消費者の価格訴求に応えるための高い生産性など維持できないのだ。このように家畜の飼養技術が向上し長生きすることが可能になったが、一定の頭数しか繋留できない条件下では新しい世代が産まれてくると経済的に見合わない個体は淘汰の対象となる。
 生産を継続している健康な家畜を廃用にできるということは優良農家の証である。そこでは適切な管理が行き届き、幸せな家畜が群れをなしているということになる。残念ながら富士アニマルファームから搬出される家畜は、経済的な淘汰ばかりでない。死んで搬出されるのは安楽死と事故死の場合である。生きて搬出されるのは素畜などのように今後価値あるものとするために買われる場合や動物園や観光牧場などに譲渡する場合である。考えてみると家畜の繋留頭数に制限があるからこそ、新しい世代が加わると古い世代や価値の低いものは処分され、そこは活力ある方向で組織や社会が保持されるのかもしれない。
 一方、我々人間は安心・安全で成熟した社会を形成し、一世代が長くなり多くの世代が一緒に暮らしていけるようになった。しかし、この豊かに見える長寿社会で、資源配分の心理的要因か、我が老後の行く末が心配なためか、新しい世代のことは考えられない、次世代はいらないといった現象が生じている。このような新陳代謝を拒む刹那的な世界から世代交代を効率的に進めなければ存在できない畜産業に対して「家畜の生命倫理」という異議申し立てが提示されるのはおもしろい。どのような形で「家」を出ることになるのか、いつまで生き続けなければならないのか、家畜が搬出されるたびに我が身と置き換えて考えている私にとって、自分自身の生への執着を人に押しつけることなどとても出来ない。