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ドクター・ヘリオットの生きものたちよ
分類番号は936。『ダウントン・アビー』の主人公のひとりメアリーが産んだジョージ(次代のグランサム伯爵)が成人した頃になるから、もう世情はだいぶ違うけど、ヨークシャーの景色は変わってなさそうである。グローバルチェーン店のロゴや、手の中のガジェットや、WiFiなどは存在しない。寒そうで、不便で、どこまでも広々と豊かである。

ドクター・ヘリオットの生きものたちよ

ジェイムズ・ヘリオット 著/大熊栄 訳(株式会社集英社 1993年)
2018/12/27更新201809号
ヘリオット先生は獣医さん。
本書はいわば回想録で、1940~50年頃が舞台である。彼は大正5年生まれで第二次大戦に従軍しているので、そう、ドラマの『ダウントン・アビー』のシーズン2頃に誕生してることになる。住んでいるのも、同じヨークシャーだ。
一週間に七日間、しばしば夜中まで仕事をしていてもいっこうにお金がたまらない。当時、獣医さんといえばイヌやネコより牛や馬や羊が主な患畜で、それらは農場にいて緊急事態になると電話が鳴り、そして農場は広いヨークシャーに点在しているから「私の時間の大半は車の運転に遣われ」ていて、ポンコツ自動車をえんえんと飛ばして駆けつけねばならないのだ。それでなくては、家畜が財産である農家の獣医は務まらない。しかも、駆けつけたあとは時に長時間に及ぶ重労働で、汚物にまみれたり馬に蹴飛ばされたりする。
獣医療の実務の90%が大動物相手の力仕事だった頃のお話である。
ヨークシャーなので、寒い。それにまた、とびきり寒いスケルデール・ハウス(住居兼病院)に住んでいる。大きくて不便で、しかし実にイギリスらしいその家には、愛妻と子どもたちもいる。
一見、のどかなのだが、実際はちいさな騒動の連続。個性豊かな患畜と、その飼い主相手に今日も驚いたり悩んだりガッカリしたりジンワリしたり、悲喜こもごものヘリオット先生なのだった・・・。

読むうちに、いろいろと感情移入してしまって忙しい。
まだまだ新薬どころかナイロン手袋などさえ存在しない時代の、経済動物相手の医療。残念な結果に終わることも多い(それは農家にとっての大打撃となる)。それだけでなく、彼らもまたペットを飼っており、キツくて辛い生活の心の支えとなっている。ヘリオット自身が大の猫好きで、犬も好きで車に乗せて往診するぐらいだから、小さな患畜たちの健康と幸せにも一喜一憂してしまうのだ。もう読んでいるこちらも泣いたり笑ったりタイヘンである。
人生、いろいろとうまくいかない。
だがしかし、時折、ホロっと嬉しいこともやってくる。それも、思わぬところから。
ヘリオット先生の綴る物語は、読むほどに、繰り返し、そう思わせてくれる泉のようである。

限られたものを手に、限られた時間で、限られた状況下でひたすらできることに邁進する。
おうおうにしてうまく行かず、時に誤解される。
しかし諦めるわけにはいかない。何しろヘリオット先生が相手にしているのは、どうぶつ達の命であり、彼らに頼って生きている人達の人生なのである。
飼い主であるヨークシャーのひとびとが、農民だけでなく、医師仲間や、リッチな未亡人や職人や商人達と、代わる代わる登場するけれど、ちょっと描かれただけなのに、みんなが生き生きとそこにいるようで、彼らの大事などうぶつ達の不調をヘリオット先生に訴える声が耳元に飛び込んでくる。
支離滅裂だったり、感情的だったり、声にもならなかったり、あぁ、わかりすぎる。筆者もまた、大事などうぶつを伴って、どうぶつ病院に駆けつけるくちだから。
一緒に仕事をするパートナーたちもめちゃくちゃいい。あなぐまのつがいやばかでかいアオサギを住まわせてしまうカラム若先生なんて、最高である(タイヘンだろうが)。
そして犬のジェットやティッチ、猫のアルフレッドやジニーときたら。もう。

年末年始、忙しいですね。
仕事が終わってがちゃがちゃ今日も頑張ったのに思ったように進まなかった気がしながら電車に乗り、朝より混んでいるような車内で帰宅したらアレとコレをしなくちゃならなくて、明日はアレとソレが待っていて、銀行でお金をおろさなきゃとか思いながら買い物してゴハンをつくり、寝るまで時間とのタタカイを続ける毎日。
まわりを見ればみんな楽しそう。まぁとにかく明日にたどりつければよしとしなくては。
そんなある日にひょっと電車で座ることができ、ヘリオット先生を読むとですね。
もうそこはヨークシャーのダロウビー。
そこからまた日常に帰ってくるとき、ちょっとだけ元気になっているのです。
大丈夫。またへこたれたら、ダロウビーに行こう。そうしよう。


図書館 司書 関口裕子