富士アニマルファームにて産業動物臨床学研究室が行う活動の中で、牛の人工授精を行う機会をいただきました。人工授精は、凍結保存されている精液を融解し、それを注入器と呼ばれる長い棒にセットし、牛の子宮内に直接精液を注入します。このように言葉で表現すると、行うべきことはシンプルですが、実際に行うとなると一筋縄ではいきません。
そもそも人工授精は、牛が精子を迎え入れる状態、すなわち発情の状態になっていないと、精液を注入しても受精・妊娠することができません。そのため、人工授精を行う前提条件として、対象の牛が人工授精を行うのにふさわしいタイミングなのかを適切に見極めることが重要となります。そのためには、牛の行動や状態の観察、超音波検査や直腸検査にて、卵巣および子宮の状態を事前にしっかりと確認しなくてはなりません。その結果、ふさわしいタイミングであると判断されれば、人工授精を行うことになります。
まず初めに行う準備として、使用する道具の消毒や凍結精液の融解などを行います。精子は温度変化に弱いため、液体窒素から取り出した後は手早い作業が必須となります。実際に、臨床繁殖実習にて、精子の温度変化に対する脆弱性を目の当たりにする経験がありました。精子の活力を顕微鏡で観察した際、保温せずに顕微鏡で観察したところ、10分も経つと精子の活力が融解後と比べて下がる様子が見られました。精子の活力が低下すれば、人工授精による受精・妊娠の成功率ももちろん下がってしまいます。そのため、作業の手早さが成功の鍵になると緊張感を持つことができました。
準備が終わると、いよいよ牛に対して人工授精を行いますが、ここからは手の感覚のみが頼りとなってきます。精液がセットされた注入器を外陰部から挿入し、外子宮口から頸管を通って子宮内に到達させなければなりません。注入器を外陰部に入れただけでは外子宮口の手前までしか進めることができないため、注入器を支えている手とは反対の手を直腸に挿入します。そして、直腸壁越しに子宮頸管を保持し、細かく向きを調整することで、注入器が子宮内まで進めるようにサポートします。外子宮口や頸管内のヒダに注入器が引っかかってうまく進まない時には、目で確認することができればどれほど楽かと思う場面もありました。しかし、動物衛生学実習で観察した頸管内部の構造や、モデルを用いた人工授精の練習を思い出し、無事に人工授精を終えられた際には、安堵するとともに達成感を得ることができました。
人工授精の目的は、牛を妊娠させることですから、前述の「終えられた」という表現は不適かもしれません。むしろ、今回の行為はスタートラインであり、約1か月後の妊娠鑑定で人工授精が完了するとも考えられます。このような、責任のある仕事を行わせていただけたことに、牧場の皆様、先生方へ心より感謝いたします。本当にありがとうございました。