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「この一冊」 図書のご紹介

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分類番号は081(新書に分類)。新書の書架のうち、「筑摩叢書」はカウンターすぐ横。本書の文庫版は今、多くの書店に並んでいます。これをお薦めしないのは、図書館員として怠慢のような気がする。

武士の娘

杉本鉞子 著:大岩美代 訳 ( 筑摩書房 1967年)
2009/6/15更新 200911号
「図書館は“買う本”を選ぶ場所でもある。これは買い!とお薦めしたい」

紀伊国屋書店本店。山積みになった文庫本に目が止まった。あ。これはウチにあるぞ。
翌日、やはりあった。が、当館の『武士の娘』はちくま文庫ではなく、昭和42年に出された「筑摩叢書」の一冊だった。厚ぼったいページはすでに変色して、製本も脆くなっている。しかし読み始めると、すぐにそんなことは気にならなくなった。
雪を踏む音が聞こえるような、越後長岡の冬景色から本書は始まる。時は、明治初頭。
「御維新」直後、著者は、藩の家老の家柄に生まれた。師匠と仰ぐ寺の住職からも「お嬢さま」と呼ばれる身の上だった。が、兄の家出、父の死と時は過ぎ、やがてアメリカから帰国した兄の縁で、在米の日本人に嫁ぐことになる。まだ、13歳だった。それから英語を勉強し、見知らぬ夫の元に単身渡米し、娘をもうけ、そして…。
一人称の、ゆかしい、武家の婦人の口から紡ぎだされる「物語」に圧倒される。描写もいい。焼け落ちた京都本願寺に、人々が寄進の品を奉納する儀式(女たちは御堂の棟木を引く綱のために、その黒髪を納めたのだ)。が語られるくだりなど、目に浮かぶようである。
その垣間を縫うように、さりげなく、幕末動乱の「影」が映しだされる。
妻の実家での饗応から帰り、急死した祖父の覚悟。離縁されたのち、薩摩島津家の姫(斉彬の実娘か)付きの上臈となった祖母からの贈り物。維新で逆臣とされ、死に装束を纏い切腹寸前までいった父と兄。家に背き、単身渡米したが世間知らずゆえに翻弄された兄。
それらを粛々と受け止める著者や家族たちの姿。
思えば著者の父は、かの河井継之助が活躍した長岡藩で、信念を貫いたゆえか、不忠とも謗られた人物だった。
しかし著者はそれを詳しく語らない。本書がアメリカで出版されたからか? 違うだろう。著者が書きたかったのは、武士の、日本人の生き方そのものだったのではないか。
その著者の、全編を覆う豊かな感性は、古びたページから香りたつようである。異国文化への賞賛も戸惑いも、英語を学ぶ喜びも、異なる宗教を見つめる真摯さも、自然を愛する闊達さも、家族を思う懐かしさも、すべて鮮やかである。原書である英語版もまことにうつくしいと言う。本書が日本人を紹介したとすれば、日本は幸運だった。

ただ私は、かつての日本人を見よ、とのみ、言いたい訳ではないのだ。今も気高い日本人は沢山いる。見過ごされがちなだけだ。異国で立派に生きた婦人も大勢いたことだろう。
素晴らしいと思うのは、明治の一婦人の言葉がまず英語、そしてその他7ヶ国語で出版され、昭和の世に別の女性の手で日本語の本となり、それが20年ほど後に叢書に収められ、さらに30年近く経て文庫となり、その15年後の今年、櫻井よしこ氏が著書『明治人の姿』で本書を取り上げ、書店に再び並んだ文庫を見た私が40年以上前のこの本を図書館で見つけて読み、感動した、という「物語」なのだ。
これを、本の力と言わずして、なんと言うのか。たとえ人々の記憶から消えたように見えても、本によって、言葉はまたよみがえるのだ。


図書館 司書 関口裕子