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「この一冊」 図書のご紹介

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学
鷹匠の技とこころ ‐鷹狩文化と諏訪流放鷹術

鷹匠の技とこころ ‐鷹狩文化と諏訪流放鷹術


大塚紀子 ( 白水社 2011年 )
2013/02/27更新201302号
分類番号は787.6。本学には猛禽ボランティアというサークルがあるので、ときどきチョウゲンボウなどを間近で見ることが出来る。鳥関連の図書の貸出も多い。本書も手に取ってくれるといいなぁ。

天正五年、安土に前代未聞の城を建て、松永久秀を信貴山城に攻め滅ぼした織田信長一行は、打ち揃って美々しい鷹狩の出立ちで参内した。これは正親町天皇を始め「京都の貴賤耳目を驚かし候キ」と記されている。
召し連れた鷹は十四羽、しかも信長自身も「御鷹据ゑさせられ」とあるから、左手に鷹を据えていたようだ。叡覧のあと、東山に出かけた信長は、大ハプニングに見舞われる。「俄に大雪」が降り来たり、風で鷹が飛ばされてしまったのだ。
何せ秘蔵の鷹である。方々に探索された。翌日、この鷹を見事に据えて参上し、無事信長の元に返した侍がいる。彼は褒美として衣を一重ね、それに駮の名馬を添えて頂戴し、その上さらに失っていた所領回復の朱印状まで貰って大いに賞賛された。
そうであろう。領地くらいくれてやろうというものだ。逸物の鷹というのは、サラブレッドの名馬と同じで「じゃ、おなじのをもう一羽」などと、気軽に挿げ替えられるようなものではなかったのだ。本書を読んで改めてそれが実感できた。
(さらに信長の鷹を扱う力量にも感服した。本書には、信長が鷹狩で獲物に向かって鷹を投げ上げ「羽合せる」ことも出来たと記されている。専門技術である。どこまで凄いんだ)

しかし鷹匠が鷹を育てあげる、その方法。伝統の技の奥義であるから、具体的に知りたいとあらば致し方ない、古い文献を漁るか、ヘタをするとミミズ文字を覚悟して読むか…とまで諦めていた内容が、こうもわかりやすく読めるとは! 欣喜雀躍のいたり、とはこのことである。本書には、鷹狩と鷹匠の歴史や、鷹匠が用いてきたさまざまな道具、鷹の仕込み方、鳥によって違う猟の実際など、驚くべき内容が淡々と綴られている。写真も添えられたそれらは、読めばその姿を思い描くことができる。そして著者は女性なのだ。この女性が鷹匠なのである。

女性の鷹匠。しかし是非写真をご覧いただきたい。彼女の佇まいは、同じく写真で登場する師の方々と同じように、実に「ホンモノ」である。角帯を締めて鮫小紋の股引・脚絆をつけ地下足袋を履いた粋な姿に、袢取(ばんどり)と呼ばれる野羽織を羽織り、鳥打帽を被った装束のことを言っているのではない。身に纏う雰囲気がすでに違う。そんな気合いこそ、鷹を育てあげてきた証なのだろう。本書に細かく記された鷹匠の技は、生き物を、しかも繊細で賢く強靭な野生動物を扱う難しさと醍醐味が、あますところなく記されている。なんとさまざまな工夫がされてきたのだろう! 爪や嘴を削るときに鷹を包むための「伏衣(ふせぎぬ)」を着た珍しい鷹の写真や、羽根が生え換わる「塒出」前後の写真など、必見写真も数多い。
なかでも筆者が惹かれたのは、「渡り」という鷹を拳に呼び戻す技を行う写真である。その際、鷹匠は鷹に背を向け、左腕をまっすぐ横に伸ばし、振り返って鷹を見ながら声をかけ、鷹が宙を降りてきたら、顔は戻して鷹を見ずに待つという。この「背中で受ける」技は、鷹に視線を気にせず飛んでこさせるためであり、写真の鷹は、羽根を大きく広げて舞い降りていた。静寂の中に生き生きとした野生が溢れた一瞬である。
ここまで仕込むために、どれほど気長で細かい、毎日の積み重ねがあることか。
諏訪流では鷹は神の化身とする。そうやって敬い慈しみ育てた鷹は、時に自身を映す鏡でもあり、一人として一羽として同じ存在はない人と鷹の息が合う瞬間を目指して日々を過ごす。この技を失くしていいはずがない。この文化は生きるべきである。
…そう思わされるものが本書にはあるのです。いやぁ、いいものを読んだ。

図書館 司書 関口裕子