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「この一冊」 図書のご紹介

日本獣医生命科学大学 日本獣医生命科学大学
猫の本棚

猫の本棚


木村衣有子 (平凡社 2011年)
2014/03/04更新201402号
分類番号は904。2月22日の「猫の日」に寄せて。大島弓子の『綿の国星』、浅生ハルミンの『私は猫ストーカー』といった、にくいピックアップもあって、木村氏の猫の本棚の豊かさがうかがえる。まだまだお宝猫がいそうである。

猫を「読んでみたい」という方々への本である。
“猫文学を読む”という前半に、23人の著者による猫小説・エッセイの紹介、後半には“猫を知る”と題して5人の著作の紹介がある。さて、人生の半分以上を猫と過ごしたきた筆者だが、実は猫文学には縁遠い。何故かって、ずばり猫文学というのは「別れの文学」であり「別離」を読むことに他ならないと、ヒソカに思うからだ。猫がいなくなったり死んだりというくだりを読むのは物憂いのである。何匹の猫とお別れしてきても、読めばまた身に迫り、ヨソの猫だというのに気分がさめざめとしてしまう。
そんな筆者にとって、本書を編んだ著者は勇敢なひとだ。まえがきにもあるとおり、「この本は、猫のお話を読み解く過程を、ひたすらに書き記したものです」。
思えばながらく、このテの本を読むのがこわかった。
きっと沢山の「別れ」が詰まっている。また、それぞれの「猫とヒトとの間」も気になる。23人の著者と猫のカンケイは、どんなであったのか。そして木村氏はそれをどう捉えたのか。あー、つまり猫好きとしては、自分と猫について、一方向からツッコンで欲しくないというのがホンネ。猫びたりと揶揄されたり、ひたすらに恥じられたりすると白ける。何かにハマった人を上から目線で見るのはカンタンだが、つまらないじゃないか。
かといって「猫好き万歳」も面映ゆい。耽溺を面白く書くには相当の「芸」が要るんだぞ。

だが結局、本書を手にとってしまったワケは…何のことはない、経年変化である。猫とヒトと言っても、ヒトとヒトの関係と同じように、たとえば筆者にしても猫と環境によって変わるものだと悟ったのだ。「その猫」と「そのヒト」の組み合わせの「そのとき」を体験するのはそのペアだけ。どう言われようと言おうとよいではないか。別離を読むのはツラいながらも「それぞれの組み合わせ」への興味が勝り、いざ、読んでみた。
谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』や内田百閒の『ノラや』、漱石の『吾輩』などはすぐに思い浮かぶ作品だろう。そこまでビッグタイトルでなくとも、表題に「猫」関連のことばが入った有名作家の著作がこんなにあるのか、と思うくらい、ビッグネームが続いて盛り沢山である。大佛次郎、幸田文、金井美恵子、庄司薫、保坂和志…なかには例えば武田百合子の『富士日記』のように、そういえば猫が出てきた、と思う作品もあった。もちろん日本の作家だけでなく、ヤンソンの『ムーミン谷の彗星』など海外作品も3編、採ってある。
木村氏の「それぞれの組み合わせ」への視線は、とても自然である。今よりクールに猫とつき合っていた時代の作品についても、町田康の『猫にかまけて』のような今風のカンケイについても、公平に寄り添う。ドライ過ぎればびっくりし、甘々ならばちょっと引く。冷静な目を向けた次の瞬間には小さく共感したり、あぁ、とてもよくわかる気がする。「買った猫よりもらった猫、もらった猫より拾った猫」の名フレーズが出てくる金井美恵子の章など、木村氏自身の複雑な気持ちが編みこまれていて、読み飽きなかった。そうそう、作家たちの猫に関するエピソードも楽しかった。<武田百合子さんのハガキ>や<芥川賞を受賞した吉行理恵への遠藤周作のことば>など、ネタ拾いが実にうまい。
そして木村氏は、平出隆の『猫の客』の一章のように、すぐに読んでみたくなるような、惹き込ませる書き方も出来る。
後半の“猫を知る”には当欄でも以前とりあげた吉本隆明『なぜ、猫とつきあうのか』を始め、縁のある著作が並ぶ。岩合光昭氏も当欄に登場したし、獣医師の野澤延行氏は進路支援図書の“はたらく人々”に入っている。『猫の民俗学』も当館蔵書だ。他に当館蔵書としては、前半に幸田文『どうぶつ帖』、ギャリコ『猫語の教科書』、保坂和志『猫に時間の流れる』がある。すぐ読んでみたい方は、まずはこのあたりから。
あとがきにかえて、に、登場するのが“かまめしねこ”。木村氏がそう呼んでいる猫である。宮澤賢治の『猫の事務所』に出てくる竃猫(かまねこ)を思い出して、その響きにニヤニヤした。本書に登場する猫たちは、みな、とてもシンプルな名前である。そういえば、そういうものだった。

図書館 司書 関口裕子