今まで飼ってきた猫は、どれも忘れがたい。一番可愛かったのは?などというのは野暮である。では、どの猫が一番賢かったか?
それなら、比較することがないでもない。飼っていた犬と比べてみたこともあった。
が、賢さを較べるのは難しい。賢い「方面」が違うからだ。また、犬が猫より明らかに賢かった!という印象も、実のところない。その犬とも、猫と同じように室内で離れがたく毎日を過ごしてはいたのだが。
あなたの犬は天才だ。どういう意味で?
本書の言う「天才」も、どれが賢いとか、そんな意味ではないのである。
よく言われる犬の能力―迷い犬が何十キロも旅して帰ってくるとか、咄嗟の機転で飼い主を救ったとか、その類とは別のお話。また、驚異の嗅覚とか聴覚とか運動能力とかとも、別のお話である。いや、能力の話はされるのだが、それは犬の能力を分析することで、犬の限界を冷静に指摘するためだったりする…と書くと、愛犬家の方々は不安になるか。
ご安心を。本書で、犬は誉めたおされます。何故なら、犬には他の動物からは桁外れに優れた、とある能力があるからだ。その能力は、人間にしか無いのではないかと思われていた。それがあるとは、まったく、犬は天才だとしか言いようがない。
…そういう本である。
例えばそこにいる人が、どこかを指差す。あるいは、何かを注視する。あなたは自然にその方向を見る―これは単純だが高度な能力だ。他者の伝達意図を読み取り、正しく反応しなければならない。
著者によると、犬はその意図をかなりの確率で読み取るという。
人間にしかそういった能力はないと信じていた認知心理学者に、まだ学生だった著者が何気なく「うちの犬にはできますよ」と言ったことが、著者の運命を変えた。
(言われた先生は本気にしなかった「なるほど、どこの犬も微分積分ができるからね」)
しかし、本当にできたのだ。著者は実験してやって見せ、そこから「例の犬学者」とまで呼ばれるようになる、著者の研究の旅が始まり、その一連が本書である。
研究の舞台は自宅のガレージ(愛犬相手である)から、はるかコンゴまで文字通り世界各地に及ぶ。筆者がとりわけ惹かれた研究の場所はシベリアのキツネの飼育場だ。そこでは毛皮用のギンギツネで、実に画期的な研究をしている。「人に対して友好的なキツネをかけ合わせる」、つまり身体的・血統的な特徴ではなく、行動を基準に選択圧をかけたのだ。その結果、ほとんど野生の、すばらしい毛皮のギンギツネに何が起こったか―この先はおいしいところなのでこのへんにしておこう(写真もかわいい)。
人との関係性において、犬は実にユニークだった。それが、多くの疑問の答えに結びつくところが本書の魅力である。その最たるものがが、オオカミとのつながりだ。人間が駆除し抜いてきたオオカミが、どこをどう間違ってイエイヌの先祖になったのか。思えばどうにも不思議なこの現象に説明のつく瞬間は、なかなかに感慨深い。
そして、あとはもう安心して本書の終わりまで身をまかせればよい。犬と共に、時も場所も駆けるこの旅は、なんともいえない驚きと幸福に満ちている。
それにしても。「伝達意図を読み取る」すなわちコミュニケーション能力である。そう、あなたも私も知っているように、この能力は言葉とは関係ない。弁がたつのに驚くほど他人の意図を理解しない人、きわめて寡黙だが気配りのできる人、どちらのタイプも我々にはお馴染みである。意図を理解し、意思を伝えるとは、かくも大きな要素なのだ。
どうやっても話が通じない人間にきりきり舞いさせられたあと、愛する犬を前に、こっそりとこう思ったことのある方々「よっぽどおまえの方が、話がわかるってものだよ」。あなたは間違っていなかった。
邦訳タイトルに拍手。原題は”The Genius of dogs : How dogs are smarter than you think”。
天才なのは特別な個体でなく、犬全体だ。だから間違っていない。そして実にくすぐられるタイトルである。
愛犬相手に、本書に書かれていることを試してみる方もいるかもしれない。そして撫でくりまわして、こうつぶやくのだ「わたしの犬も天才だ」。
図書館 司書 関口裕子