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「この一冊」 図書のご紹介

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おとぎ話にみる人間の運命 個人の生を超えるものへ

おとぎ話にみる人間の運命 個人の生を超えるものへ


ヴェレーナ・カースト (新曜社 1995年)
2016/03/30更新201603号
分類番号は909.3。幸運について論じた一冊とも言えるかも。読み返すたびに印象が変わりそうな本。読んでいてもけっこう変わっていった。こういう読書はたまにいいですね。

当館には、こんな本もあったのか…勤め始めて幾星霜、未だにこの体たらくである。
グリム童話の「三本の黄金の毛をもつ悪魔(金の毛が3本生えた鬼)」について、ユング心理学で分析した一冊。これ、グリムでもマイナーなお噺ではなかろうか。
「貧乏な家に、福頭巾(羊膜)を被って男の子が生まれた。珍しいことなので、いずれ幸運のうちに王様の娘婿になるだろうと噂された。偶然、その村におしのびでやってきた王様はそれを聞き、冗談じゃないよと何食わぬ顔でその子を貰い受け、箱詰めにして川に流してしまう…」というところから始まる。幸運児は王様の姦計にも関わらず、ホントにお姫様と結婚してしまう。悔しい王様は、婿になるなら鬼の毛を取ってこいと放り出すが、幸運児は快諾して地獄に赴き、そして…かぐや姫の男性版みたいな無理難題譚だが、結末はなかなか捻りが効いている。さすがグリム。
姫と結婚するまでの前半と、鬼の毛ゲットの後半で、内容的には二話分のお得感である。だが前半では、幸運児はただ状況に身を任せているだけ。地獄デビューの後半でも、特にアクション映画的な活躍があるわけではない。
「まさにお伽噺」的なこの展開を分析するって、どうなのだろう。

「幸運児だから当たり前」なのか、彼は素直で元気。拾われっ子だがグレもせずナイスガイ(しかもイケメン)に成長。王様に毎度死亡フラグを立てられても、おおように従うのだが、その「いいヤツ」オーラがすぐに「拾う神」を引き寄せる。
地獄詣での道中では、村々の災難に遭遇する。葡萄酒が湧く恵みの井戸(赤でしょうね)が干上がったり、黄金の林檎の木が枯れたりしていて、これらは王様の残念な統治っぷりの隠喩らしい。幸運児は「あとで何とかするから待っててよ」と言いながら進んでいく。そして大きな川に辿り着く。おとぎ噺的には渡るな感満載だが、地獄旅行だから仕方ない。そのうえ「そろそろ渡し守稼業、辞めたいんだけど」という渡し守にまで「あとで何とかするよ」と言って地獄に到着。ちょっとは怖がれやぁ!
しかし何と言っても彼はお伽噺の幸運児、ゲームの主人公より無敵である。幸運児が「やるな!」という機転を見せるのは、黄金の毛を取ってから、結末までの大詰めである。

さて、本書のタイトルに戻る。「運命」はあるのだろうか。
幸運児はその運命のみによって「え、じゃあ王様になっちゃうの?」というハッピーエンディングを迎えるのだろうか。幸運な運命には誰も敵わない、というお噺なのか。なにせユングだから、いろいろまだるっこしい書き方をしていて、初読ではピンと来なかった。が、そのせいか、しばらくこの本については考えさせられたのである。
(この「考えさせる」というのがおそらく、本書の狙いなんでしょうね)

幸運児は、生のパワーに満ちている。疲れれば盗人宿でもすやすや寝入ってしまう(ヒロイン並み)。姫を妻としてからは、彼女との未来のために地獄に行くことも厭わない。
そりゃ幸運児だからだろうが、それだけなのか、という著者の思いが心に響き始めてからが、この一冊は面白い。思えば幸運児、状況はキビしかった。姫と別れたとしても、王様が放免してくれるとは限らない(なにせちっちゃいヤツだから)。だが状況を、敢然と引き受けた。たとえ成功しそうな予感に満ち溢れた未来だとしても、過酷な状況には変わらないのだ。それでも進んだのである。
それが彼の道だったからだ。
考えてみると、赤ん坊のうちに捨てられた彼は、自分が福頭巾を被って生まれたと知らない筈だ。でも、王様の策略を自然に免れたことなどから、自分の幸運を悟ったのだろうと本書も言う。彼は学び、考えた。そして自らの道を悟り、王様に最後に「仕掛けた」のだ。
そして彼は、その幸運を他人のためにも使っていった。その恩恵もまた受けるのだが、それでいいのである。それが彼の生きる道として、望まれたものだったのだ。

今後、ちょっとばかり何だかに迷った際、もしかしたら思い出しそうな一冊である。運命を信じるというのは、自らを理解するという一側面ではないだろうか。だがこの感想も、読み手によっておおいに違いそうである。
…なーんて、まじめに書いちゃったじゃないか。

図書館 司書 関口裕子