この一冊
前へ戻る
宇宙はどこまで行けるか ロケットエンジンの実力と未来
分類番号は081。中公新書にはどんだけいい編集者が揃ってるんだ。このところ中公にやられっぱなしじゃないか筆者。ええ、おかげさまで当欄も元気にやってます。

宇宙はどこまで行けるか ロケットエンジンの実力と未来

小泉宏之 (中公新書 2018年)
2019/08/08更新201905号
本来それほど興味のない分野の本を読みきるには、本好きでも気合が必要である。
何度も言うが筆者、真性文系なので当欄開始10年もたつと、どうしても動物や食べ物といった身近なテーマに偏りがちだが、たまにはガチな理系本にもアタックする。玉砕多発を乗り越え、当たり本は早めにピンと来るようになった。本書は読み始めてすぐページから手招きされて「あ、ここ座っていいよ」(cv.中村倫也)と言われるままスルッと腰を落ち着け読破してしまい、筆者は宇宙に行ってしまった。
ワープするみたいに「おわりに」まで到達できたからと言って、イオンエンジンの仕組みを説明できるわけじゃない(なにせ真性文系)。あえて書くならこんな感じである。

飲み会で何の因果か隣にロケット工学者が座り「マズいぜったい話が合わない」と引いていたら思いのほかロケット業界の内幕トークが面白く、イオンエンジンの仕組みについてアホな質問をしても全然オッケーで紙ナプキンの裏に図面引いて教えてくれて、ナルホド~と人工衛星業界の「推進機屋と衛星屋の技術者間攻防」について盛り上がったあたりで一次会がお開き。ついそのまま二次会に行ったら周りはロケット業界人だらけになったよ!でもジャマにもされず参加してたら「火星探査機をつくる」話になってしまったが、これがイイ意味で下世話に具体的で「まぁさっきも話したけど、火星探査に行くなら2年8ヵ月は必要なわけ。船員2人だと喧嘩したときヤバいからさ」(ここから周囲が異様に盛り上がり)「映画の『オデッセイ』(本書中では原作タイトルの『火星の人』)は6人だからそれでいいんじゃね?」「とすると体重は合計で420キロってとこ?」「水と酸素と食べ物で…水は循環システムありでいい?3年分で(スマホで足し算)…持ち物は合計6トンとしようか」「居住空間は?基準ナニ?」「じゃあここはISS補給船の“こうのとり”で」「それなら10mで直径4.4mで…これをバージョンアップして…(図面を引く)まぁ30トンだね」「でも着陸船はどうするよ。火星の有人探査着陸船なんてまだねえよ」「モデルはアポロ着陸船しかないだろうな」「月と火星じゃ違いすぎるっつの」「確かに」
このあたりでようやく筆者質問する「どう違うんですか」
「重力と大気だよ。火星は重力2倍、でも大気が濃いからブレーキにはなるね」ガヤガヤガヤ…「…案外プラマイゼロでよくない?」「アポロは?3トンだったっけか」
だんだん感覚がマヒしてきてトン計算でも乗っかる「案外小さいんですね」
「いや、それに推進剤(エネルギー)が15トンあったから」「(お、おう)」「今回は?6人で滞在時間は?」「いや、そもそも6人全員火星に降りないだろ」「2人残っとく?」
ここから「未知の船」に必要なエンジンを「具体的に考える」トークが怒涛の展開、でも何しろひとつひとつ具体的なんでついていけてしまう!なんだこのノリは!
待てよ、既視感がある。フィギュアスケート好きが集まったとき「○○選手に金メダルを計画」の立案が始まって、拠点はどこでコーチは誰で○ヵ年計画として振付はダレ曲はナニで練習場所の確保その他のトータルコストはこれぐらいCMに出たとして…とかやたら具体的になったことがあったぞ。知識がある人の試算ってすごいのだ。そして、本書の著者はそんな試算がべらぼうに好きなのである。
試算上手は客観的かつ具体的に対象を分解・再構築できるヒトが多く、セルフツッコミができる人なのである。その試算するひと検算するひとに分かれた思考経路を絶妙に立体化すると本書のような、まるで名人の落語を聞いているような一種の話芸になるわけだ。

最終章では太陽系を突破してSFの世界になる。本書のすごいところは最後まで同じノリで突っ走ったところで、4光年離れたアルファ・ケンタウリまでの到達時間を「現在の技術を現実的な限界に引き伸ばした最短で1400年」とし、さらにそれをどう縮めるかまで具体的に描いてみせたところだ。めちゃくちゃ非・現実的なのだが、滅法キラキラ「現実的に」考えていることに圧倒される。「複雑なエンジンはその複雑さゆえに研究が楽しい」という著者、ガッツリお金の計算をし、大人の事情もガンガン加味していくリアリストの著者が最後の最後に初めて、子どもの頃からの宇宙への憧れを記していて、いや、ここで想定外にジンと来たのは宇宙のロマンというより、研究のロマンが広がっていたからだろう。

なんだったんだ?今日はずっと宇宙の話しか聞いてないけど楽しかったぞと、まるで終電待ちのホームにいるみたいに呆然。同じメンツの飲み会(次回作)があったらまた行って(読んで)しまう自信がある。そのときにはサッパリ話を覚えてないだろうが、この欄を読み返し、本書を再読すればいそいそと駆けつけてしまうことだろう。
まったく、これだから。アタリ本というやつはいかんのだ。


図書館 司書 関口裕子