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ガロア 天才数学者の生涯

ガロア 天才数学者の生涯


加藤文元( 中公新書2085 2010年)
2012/06/15更新201212号
分類番号は081。分類番号は081。これほどのドラマでなければ、代数方程式についてなんて読めなかった。これは代数学の天才についての本であって、代数学についての本ではない。そのへんの小説より、これを読んだほうがいい。

のちの文豪アレクサンドル・デュマ・ペールは、そのとき30歳になるかならぬかだった。七月革命で王座についたルイ・フィリップの秘書室に勤めながら、戯曲作家としてブレイクしていたという。一触即発の煮え立ったパリ。共和主義者が口々に「1789年に乾杯!」なぞと盛り上がる街の宴で、彼は役者たちと杯を重ねていた…と、ふいに一人の若者が片手に握りしめたジャック・ナイフを振りかざし、高らかに叫んだ。
「ルイ・フィリップに!」― つまり“国王に刃を”!
誠実で、聡明で、王でさえなければ「善き人」であったルイ・フィリップの死など、過激派でさえ望まない時期だった。憲兵の目を怖れ、あっという間に若者は仲間の手で押さえられ、若きデュマはスタコラその場を逃げ出した。のちの、彼自身の回想である。
そのキレた若者こそ、本書の主人公・天才数学者エヴァリスト・ガロアであったという。
それにしても何という劇的な、いや、劇的にできる生涯だ。代数学において画期的な理論を構築し、直後に二〇歳の若さで、それもピストルによる決闘で落命するという経歴だけではない。ナポレオンがロシアに攻め入ろうとする1811年に生まれ、王政復古期の鬱々としたパリで生きた彼は、その多感な時期にラ=マルセイエーズの歌声が鳴り響く「栄光の三日間」を目撃したのだ。迫力満点である。直前に父が自殺していたガロアは、経済的にも逼迫し、意に染まぬ進路に悩みながら論文を書き、なのに政治的活動に身を投じ、あげくに血気が過ぎて投獄され、よくわからない決闘でこの世を去ってしまうのである。
なんでこんなドラマを、知らないでいられたんだろう。

本書では彼の行動を丁寧に追う。なにしろ混乱が続く時期であり、場所であった。彼の論文も多く散逸している。しかも彼は稀代の数学者である。「五次以上の代数方程式は、代数的解法によっては解くことができない」のではないか、という命題に取り組み、その代数的可解性について示した“ガロア理論”の新しさについて、触れないワケにもいくまい。著者はなるべく簡潔に、わかりやすく説明している。誠に申し訳ないが真性文系読者としては、それを完全に理解し得たとはとても言いきれないが、放り出さずに面白く読み通せたのだから驚嘆に値する。著者の数学の書き方は、本当にシンプルで、しかも情熱的だ。だから少なくとも彼の天才性だけは、なんとか読みとれたつもりである。
その鋭い着眼点や、際立った論理性について描いてくれなければ、功半ばにして夭折した数学者の凄さなど感じ取れなかったろう。著者はそれを思い「高度な数学理論をトーシローにも読みやすく説明する」という難題に挑戦したのだと思う。

そして著者が言うように、ガロアの生涯は『レ・ミゼラブル』と一致する。かの作品は1815年から1833年のフランスを切り取っていた。ガロアがその短い生涯を閉じたのは、1832年の5月である。どんぴしゃだ! 『赤と黒』もほぼ同時期である。ガロアが駆け抜けた時代の空気を伝えるために、著者はそれら文学作品も、手際よく数式に散りばめた。著者が伝えたいガロアは、天才ではあってもティーンエイジャーであった。それも激動の時代の。本書に登場するもう一人の天才、ニールス・ヘンリック・アーベルもまた、ガロアと同分野の命題で画期的な論文を書き、しかし若くして急逝する。『グレイ解剖学の誕生』の、二人のヘンリーを思い出す。
そう、ドーバー海峡の向こう側でヘンリー・グレイが生まれたのは、ガロアが数学者としてデビューする直前であった。日本では、ガロアと同年に佐久間象山が、ガロアが没するすぐ前に吉田松蔭が生まれている。ヴィクトリア朝ロンドンと、幕末日本、そして『レ・ミゼラブル』のパリ。ル=ロワ=ラデュリの『気候と人間の歴史・入門』によると、その当時パリは厳冬期が続き、1832年は雨の多い、寒い、寒い年であったという。

図書館 司書 関口裕子