唐突だが、「ホネ」は気になる分野である。
以前はまったく興味なかった。今はだいぶ自覚がある。
本学の一号棟という洋館には、全身骨格のキリンが佇んでいる。最近、「彼」が長次郎という名の由緒あるキリンとわかり、愛着がいや増した。彼の影響もあるな。
しかし、衝撃的に覚えている本があるのだ。『パンダの死体はよみがえる』(遠藤秀紀)だ。「(動物の)遺体は全人類共通の財産である」と強く訴えるこの本は、パッションと知が同時に炸裂(存在とか生易しい言葉ではいかん)する、世にも稀な一冊である。
そう、さまざまな動物本を読んできたが、いつも思うのは「生きものの世界はまだまだナゾばっかりやな」ということだ。月旅行時代はすぐそことか言っても、海にも山にも、すぐ隣にも「その仕組みはまだよくわかっていません」とさらっと記述されることばかりなのだ。だから、動物の遺体は知の宝庫だろうとよーくわかる。
しかし万事がコスパ優先になる昨今、遺体も標本も、管理や保存が大変だろう。大学図書館の本にしてからそうだから、他人事とは思えない。お察しする。
さて今回ご紹介するのは、そんな遠藤先生の教え子だったという、キリン研究者・郡司芽久の本である。本学のキリンの骨格も見にいらしたそうだ。東大出身の研究者と言えば以前、フタバスズキリュウの本をご紹介した。フタバスズキリュウが正式記載となったのは2006年で、郡司先生は2008年に東大入学というから、どんどん新世代の研究本が出てきているなあと感慨深い。
果たして、とてもユニークな本である。全編、解剖されるキリンの描写で満ち満ちている。あの可愛らしいキリンはしかし何しろ大きいので、バラバラになって献体されてくる。成体のオスは身長5m、体重は1tを超える(車一台分くらい)という。
郡司先生は、万感の愛と責任感と解剖刀で、愛するキリンをさらにバラバラにし、あの長い首で生きる生命と進化のナゾに挑む。彼女の元に来るキリンは、動物園などで大事に飼育された、名前のある存在で、作中、時にその遺体のうつくしさがシンプルに賞賛される。そうして著者は「キリンがあの長い首を動かすときは、頚椎だけでなく、第一胸椎も動かしている」という発見をし、イギリスの格式あるジャーナルに掲載され博士号をとった。「哺乳類の頚椎は7個」なのだが、頚椎に続く第一胸椎に、キリンは驚くべきスペックを獲得していたのだ。
しかし読むうちに、動物園動物の訃報が気になってくる。なにせ動物園発信の本も多く読んでいるから、どんなに大切にしていても避けられないとわかってはいる。遠藤先生たちはプロとして彼らを丁重に迎え、その死をムダにすまいとしているわけだ。
なので「頌春 遠藤です。さっき、某動物園でキリンが死にました。郡司さん、来られる?」といったメールが、元旦から飛び交うことになる。
郡司先生も遠藤先生も、本格ミステリにみられるような、巧まざるユーモアがあり、描写や表現も的確で、文字でも解剖の様子がよくわかる。しかし、コトはキリンの解剖で、その非日常さに時々気が遠くなる。なんちゅう世界だ。
終盤、富士ファミリーパークから茨城の東大牧場に運ばれるキリン(の遺体)の様子が、遠景だが写真で登場した。動物園の配慮で、亡くなった状態そのまま、まるごと運ばれたキリンがクレーンで運ばれている。しかしこれが青空の下! 屋根もない。1月の屋外の寒さはキリンにうっすら氷がはるほどだったという。もう、なんかシュールすぎてすごい。
読みやすい。研究の楽しさ、難しさ、挑戦しがいがダイレクトに伝わってくる。遺体がわんさか、わんさか登場するが、不思議と生命に満ちた本でもある。この方は、きっとこれからも沢山本を書くだろう。嬉しい限りだ。そんな本だ。
でもシュールなの! そう思うのは筆者だけ? 作中コラムに「キリンの頭骨はオスの方がはるかに重いから、キリンの講演をするなら迷わずメスの頭骨を持っていこう」と先生のアドバイスがあった。ぜひキリンのメスの頭骨をもって、この本のキッチュな面白さを皆さまにおすすめしたい。たぶん1時間くらいは語れると思う。
図書館 司書 関口裕子